内部被ばくを避ける
「黒い雨ー内部被曝の告発」
佐伯区黒い雨の会 高東征二
1945年8月6日の原爆が投下された直後、「黒い雨」が広範囲に振りました。国は「大雨地域」と「小雨地域」とに線引きし、「大雨地域」のみ被爆者援護法の「健康診断特例地域」に指定し、「小雨地域」やその外側は、なんの手立てもなく放置しました。
その指定区域外で苦しんでいる住民は、37年前(1979年)から地域拡大の運動を続けています。
その運動におされ、広島市と県は、3万人を対象にアンケート調査と千人の面接調査をしました。
2010年、国の指定地域の6倍の「黒い雨の構雨図」を作って「原爆体験等健康意識調査」を報告し、国に黒い雨指定地域の拡大を働きかけました。厚生労働省は、2011年12月に黒い雨の検討会を立ち上げ、9回も開き、報告書を検証し、2012年7月に結論を出しました。
広島市が報告書で詳細を明らかにした被曝の実態をいっさい認めようとせず、指定地域を拡大してほしい切実な願いを踏みにじった理不尽なものです。
「大雨地域」以外では、「広島原爆由来の放射性降下物は確認されてない」「内部・外部被曝があったことも確認できない」「現に苦しんでる人は、被ばくしたのではと思いすぎから、被ばくしてないのに病を引き起こした」と言うのです。
さらに「改めて更なる調査を行う意義はない」とまで言ってます。
「大雨地域」の外側の地域で「黒い雨」をあびた多くの住民の証言があるのに、検討会は、「60年以上たった記憶」dとして、現地にも来ないし、被災者にも会わないで住民の記憶違いのように扱ってることには腹正しさは隠せません。
焼け焦げた紙やチリ、ホコリ、灰が落ちてくる中を家に帰った田中貞子さん、芋畑を駆け回って空から墜ちてくる焼け焦げの紙を拾った寺本博和さん、川が黒く濁りフナ、ハヤ、ウナギまで白い腹を上にして流れていた、家に帰ると灰が廊下に積もっていたと証言する岡部宗治さん、みんな身体が弱く、働き盛りの時に体がだるく働けなかった。みんな自分の責任だと思い、周りの者に迷惑を掛けないようにひっそりと暮らしてきました。
田中隆之さんは、谷川の水を、あの8月6日も7日も毎日生活に使い飲みました。身体じゅうガンに侵されていました。
みんな国の横暴さを呪い、被爆者にも入れてもらえなかったと嘆き死んでいきました。
2013年2月17日、日本ジャーナリスト会議広島支部主催で「黒い雨と低線量被曝」と題して公開シンポジウムがありました。放影研の大久保理事は、「黒い雨による残留放射線の被爆は誤差範囲」とか「内部被曝と外部被爆のリスクは同じ」と言われ、黒い雨や内部被曝の問題をどう考えておられるのか分からなかった。
「黒い雨の会」として再度話し合いをしました。大久保理事長は、「放影研の膨大なデータは、すえて爆心地から2km以内で遠距離被爆や内部被曝についてのデーターはありません」と言われた。
結局、放影研は、残留放射線の影響を無視して、無視するほど影響がないので、初期放射線についてのみ調査したのだととれました。
これは大変なことです。
放影研の指標が、国際放射線防護委員会(ICRP)の基礎になってるし、先に行われた、「黒い雨の検討会」が「残留放射線のデーターはない」から、無視できる、影響はない、にされたのではないか?
国の態度に我慢できない。
裁判で明らかにしたいと準備が進められています。71名が原告に名乗りを上げています。
私も原告になり何も言わないで亡くなった多くの人の分まで頑張ります。
どうか、ご支援をよろしくお願いします。
2015年夏
https://blackrain1.jimdofree.com/%E8%A2%AB%E7%81%BD%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80/