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事務局日記
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1.262025
被ばくの症状 4 ヒロシマナガサキと共通することがあるのか?
日本で事故が起こって、当団体のブログにもたくさんの体調異変の書き込みがありました。関東のほうで、お話をお聞きするだけなら…という場をもうけたことがあります。しかし申し込みで電話がパンクしそう。チェルノブイリの子をみてくださっていた医師のかた一人では到底足りない。
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1.242025
被爆の症状 3 保養に来る子どもたちの家族のようす
1992年から始まった、「チェルノブイリへのかけはし」の保養。子どもたちの体調のつかみどころのなさもあり、生活文化も違うので、受け入れはとても大変でした。
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1.232025
被ばくの症状2 保養は発症の予防
日本での保養の始まりは、「チェルノブイリ救援募金」(代表吉沢弘志氏)が、保養運動をよびかけていました。1991年に千葉で始まりました。当団体は1992年に活動を始めました。
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1.212025
被ばくの症状1 保養の始まり
1992年7月はじめて北海道に「保養」の子どもたちがベラルーシからやってきました。まず、「保養」という言葉が、簡単なようで難しい。日本でいちばん最初に「保養」という単語が使われたのは、この記事の記者のかただということです。
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1.202025
愛と放射能の天秤 12 スモルニコワ先生3 性器の被ばく
原発事故が起こっても、実は、被ばくの被害というのは、まだよくわからないことが多い。ヒロシマナガサキの被爆者でさえ、裁判をまだ行ってる。 チェルノブイリ原発事故の被害者は「チェルノブイリ法」で守られてるのに、日本の場合は、別の科学で、放置されています。
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1.192025
愛と放射能の天秤 11 スモルニコワ先生2 汚染地での生活
スモルニコワ先生は、チェルノブイリ事故のときから、汚染エリアの子どもたちの検診を行ってきたので、彼女の医師としての体験などを紹介していきたいと思います。子どもたちの体調が悪い話ですので、日本の事故を思い出して辛い、と言う方は、無理をせずに。
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1.162025
愛と放射能の天秤 10 スモルニコワ先生1
また、日本で事故が起こったら…と思うと、伝えておかないといけないいろんなことがたくさんあり、1992年から救援活動を始めたさまざまな体験が、一つ一つ、ジグソーパズルのピースだったのか? さまざまな科学者や、日本のヒロシマの医師。
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1.152025
愛と放射能の天秤 10 小児甲状腺がんの増加を 科学はあとから認めるだけ 1
いったいお前はこんなにダラダラ何を書いてるのか?と問われたらチェルノブイリとフクシマの原発事故のあったことを記録しておきたいからです。後世の人たちが、いったいなんでこうなったのか?ということを調べようと思った時、あるいは考える参考になったらいいのかなと思うのです。
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1.142025
愛と放射能の天秤 9 誰の味方なのか?
チェルノブイリ原発事故のあと、小児甲状腺がんが増えたことは、ごまかしがききませんでした。誰の目にも、それは、チェルノブイリの放射能の死の灰のせいだとわかるからです。それが、「ヒロシマの医者」がわからない、否定された…ということが、二重三重にベラルーシの人々を傷つけました。
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1.132025
愛と放射能の天秤 8 ものごとの道理は世界共通 小児甲状腺がんをめぐる攻防
道理…などというと、すごい、難しい感じがしますけれど。簡単なことです。たとえば、原発事故を起こしたら、国が責任取る。そんなことは当たり前のこと。子どもがしたことは責任取れないから放免されますが、責任取れる人のことを大人と言いますよね。
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