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11.82022
「福祉」と「NPO}の違い
政治家が、子ども食堂の視察にゆき、NPOの支援をもっと増やします!と口約束をして帰って行く記事が、ときどき垂れ流されます。
これはちょっと、驚きますね。
悪い言葉を使えば「どの面下げて」という単語がぴったりです。
おなかをすかせてる子どもがいる、「やむにやまれぬ思い」で食べ物を寄せ集めて子どもたちに食事を提供してること、って、ボランティア精神そのものです。
で、なんでそういうことになったのか?という原因をつくってるのは誰なのか?
というところを、その報道するマスコミの視点から欠落してしまってるのです。
こんな良い活動をしてる人たちを、政治は応援しますよ~!!って
おい!
あなたたち政治家の悪政の結果、食べられない子どもたちがいる。
ハッキリ言えば、サボってる。
子どもが食べられないってことは親もおなかをすかせてるわけです。
子どもの飢えを解決できない政治なんて、二流三流どころか、もう国をしょってたつ資格は無い。
で、何が言いたいかというと、「国の責任」でやるというのは法律をつくって、児童福祉…ということで、日本に住むすべての子どもたちに平等に、食事が振る舞われるという政策をしなさいよ、ということです。
NPOが、あるいはボランティア支援というのは、その組織がない地域の子どもたちに食事は当たらないということです。
そんなことは、国が地方自治体にお金を廻して、各地方自治体で、給食、あるいは家を回って給食の年齢になってない子どもたちにしっかり食べさせることをやったらいいわけです。
「子ども家庭庁」って、食べ物も配らないんですかね?
子どもを大人の言いなりにするためのことばかり考えついてる。
さて、とても重要なことは、『保養』に関してです。
保養は、フクシマ原発事故のあと、日本国内外で、ボランティアの手によって、続けてこられています。
コロナで集団方式をあきらめて、各家庭方式…というスタイルに、かけはしも切り替えました。
しかし、これはボランティアなので、即効性はありますが、普遍性はないです。子ども食堂と同じです。
国の政策として、保養をしっかり位置づけ、該当する地域の子どもたち全員を放射能のない地域で休養、英気を養わせる責任があるのです。
私たちが救援していたベラルーシ共和国も、貧しいながらも、子どもたちを国内のサナトリウムで保養させてきました。日にちは大体21日が目安。
ベラルーシは独裁大統領と揶揄されていますが、この件に関しては、ベラルーシは素晴らしいと言えると思います。
学校ごと、クラスごとで、保養にでて、サナトリウムで保養しながら学校の勉強ということもあります。
それと、海外保養プログラム、これはもちろんボランティアの手で行われます。
ベラルーシのNGOとか以外のNGOが、協力し合って続けてきていました。
(コロナの前まで。今は戦争ででられないですね)
海外保養は、ボランティア組織のない地域の子どもはでられませんでした。
また、ボランティア団体の設立当初の目的として、国の高官の子どもを入れるなどしない、という当時の旧ソ連崩壊時に蔓延してた政治的腐敗に組み込まれない…という大人の事情もありました。これは子どもからみたら差別ですよね。
民間の保養運動の始まりそのものが、民間の人々が旧ソ連時代に、政府の圧力の中で海外に子どもたちを送り出す…という行動だったため、政治の腐敗を払拭する(汚染地域にいない高官の子どもを入れなければ他の子どもを出国させないなどの圧力がすごかった)中で始まったからです。
だから、国が、すべての子どもたちに公平に、保養の機会を与える責任があります。
日本は原発事故を起こした地域の子どもたちの健康診断さえしないで、税金ばかりを集めて、いったい何に使うんだろう?
そういう道徳のない国は落ちぶれていく…という予感は、
原発事故から12年、誰の目にも明らかになりつつありますね。
国民がボランティアで国会議員の代わりに国会に出てあげたらどうでしょう?
ちなみに保養に該当する地域…ってベラルーシでは、だいたい1ミリシーベルト以下の汚染地域に住んでる人って感じですね。
1~5ミリは移住の権利…ということで、自分たちで移住するかどうか決める権利をあげる(旧ソ連は、住むところを国民が勝手に決めることはできなかったので)という破格の権利でした。
そのような高汚染地帯から、子どもを持つ家庭はどんどん移住せざるをえませんでした。
もちろん5ミリ以上の地域は移住ですから。
1ミリって、定義がいろいろあってクラクラしますよね。
日本は放射能のある地域の子どもたち全員…でいいと思います。
(突然空間線量0.23マイクロシーベルトが1ミリとか言い出してビックリです。)ベラルーシは土壌汚染と内部被ばくの係数によってことこまかに政府は何を国民にすべきなのかカタログが作られています。
国の責任で子どもたちを保養に出すには、保養所が必要。
日本の地方には、温泉旅館がたくさんあって、つぶれそうなところもあります。
そこを国のお金で改修させて、子どもたちがいつでも、温泉に入って、美味しい空気と安全な食事を提供されることが、「福祉」(国の責任)です。地方も活性化しますね。
国の責任を「公共」とか、そういう軽めの言葉は似合わないなぁ。