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悲しいチェルノブイリデー

今日は、36回目のチェルノブイリデーですが、いちばん悲しい記念日となりました。

96年の年頭に、ベラルーシのNGOからいただいた手紙をご紹介したいと思います。
「かけはしのみなさま、こんにちは!
ベラルーシのウラジミールです。みなさまに新年のご挨拶を申し上げます。
みなさまの健康とご多幸、そしてご成功をお祈りいたします。
また、慈善事業に協力してくださってるみなさまの支援者の方々にとっても、今年が良い年であるように祈っています。
私たちのほうは順調です。みなさまよりいただいたプレゼントはとても役にたっています。本当にありがとうございます。
今は、学校の子どもたち全員を黒海の町に保養させる準備をしています。それで、ゴメリとここ(チェチェルスク)を行き来してる毎日です。
スウェーデンから彫刻家の一行がこちらに来ていました。
我々はドイツでチェルノブイリの子どもたちの絵の展覧会を計画しています。
私たちは生への望みを決して捨てません。
 そちらの様子はどうですか?
96年はどんなことを行うおつもりですか?
今年はいつ保養を行うのですか?お知らせください。待っています。
陽介さんやみなさまによろしくお伝えください!
では、さようなら。
キスを贈ります。ヴァロージャ」

毎年、チェルノブイリデーを迎えることができると、生き延びれたな…と思います。
ベラルーシのボランティア団体の人たちもなんとか生き抜いてくれてる。
手紙の中に出てくる、陽介さんは、ウクライナで語学留学をされていましたが、白血病で亡くなりました。
今のこの戦争の話には耐えられなかったと思います。

一刻も早く、停戦交渉が始まることを祈ります。
もう武器の供与は犠牲者を増やすだけですから。
ウクライナ国内でも、即時停戦、平和解決のアピールもあったそうです。
「最後の一人まで戦う…」なんて掛け声が出てるのを見ると、悲しくなります。
それもう国がないでしょう?
「一人国民」って国と言えるでしょうか?
その人の周りに武器がつみあがっていても、一人で持ち上げられもしないし。
何より
国民の命のほうが大切です。

当時の私たちの救援物資のリストです。 合計324,450円
小児用ヘッドステート(聴診器)ケース入り 7つ
水銀血圧計  二つ
小児用マンセッター(血圧計の腕にまくもの) 大中それぞれ1
注射針(サイズごとに) 2100本 4000本、9000本

保養に招待した子どもたち(92~2011年) 648名

その子どもたちが大きくなって、今、戦争に投入される兵士たちの年齢になっています。

ベラルーシの汚染地域の子どもたちは、体力がなく、普段の徴兵でも健康男子は50%にも満たない。
条件付き徴兵という形になってると言ってました。
ウクライナの子どもたちはどうなんでしょう?
死因のトップはやはり心臓死のようなのですが。

ウラジミール先生のお手紙の中に出てくる、「黒海での保養」はベラルーシでも人気の保養地でした。
今まさに、紛争地帯になっています。

子どもたちを兵士にするために、健康を願ったわけではないです。
どうか長生きして天寿を全うしてほしいとおもって、活動してきました。
「私たちは生への望みを捨てません」とお手紙の中にありましたが。
当時は死亡率が高まってきていて、突然死が増えてきていましたが。
だから誰がいつ突然死するかわからない、「カローシ」が流行ってるのだと、どこからから日本語を仕入れて語っていたのを思い出します。
それを生き抜いてきました。
旧ソ連が崩壊して、経済も崩壊しました。
ベラルーシやウクライナの経済状態を思えば、戦争などできる実力はありません。
ウクライナの人が欲しかったのは、武力ではなく、ひも付きではない、健全な経済援助だったと思います。

とにかく、彼らが生き抜いて、一刻も早く停戦がおとずれることを祈る毎日です。
そうですね、チェルノブイリ救援が始まったときも、みながいつも、会いに行ったら生きててくれるように祈ってました。

毎日、夜、八時、地球から戦争がなくなるように、平和になるように祈っています。
祈ってなんになる?
もし手足をもがれても、人間、祈ることだけはできます。
そうとしか言えない日々です。
マウリポリの地下に籠城してる兵士たちももとは子ども。
どうかみな、生きる方を選んでほしい…。

日本は、この戦争にかかわってほしくないと思います。心の底から。
仲介者以外に、日本がとれる役割がないからです。

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