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わかな15才~中学生の瞳にうつった3.11~

お知らせしたいのは、このかわいい本のこと。

3.11のとき、福島県伊達市で卒業式を迎え、高校に入学するとき、その子どもの目にうつったいろんなこと。

みんなものわかり良すぎて、大丈夫なのか?って思ってたけれど、

大人がどんどんおかしくなっていき、子どもがグラグラしてく様子がとても克明に綴られています。

知人が読んで開口一番「学校ってしょうもないね」です。

学校のしょうもなさは、津波で子どもたちを犠牲にしてしまった宮城県の学校はじめ、いろんなことがあると思います。

この本にも、学校でマスクをすることに、ナーバスになる事件とか学校が、被ばくさせるためのミッションでもあるのか?って感じで。

子どもが自殺したくなる…課程も。四面楚歌になっていくから…。心が通い合えないのがいちばんつらいですよね。

まあ、学校の悪口を書いたらとまらないので、著者メッセージがでましたので、シェアしたいと思います。

自殺したいとか、どうして子どもと、親と心がずれちゃうんだろう?って思ってる人にちょっと読んでもらえたらいいな、と思います。

以下、わかなさんの言葉です。【わかな15才 中学生の瞳にうつった3.11】

「春がやってくると私は「福島」を思い出します。

祖母が昔から言っていたのは、「福島は桃源郷だ」という言葉です。

桃の花が咲き乱れ、春が来ると桃の花と桜の花であたり一面ピンク色になる私の故郷は、3・11を境にして目に見えない「放射能」によって汚染され、その目に見えないものによって人々のつながりも分断されていきました。

あの時、「絆」という言葉をたくさん耳にしました。

しかし、当時高校生になった私が感じたのは「うわべだけの繋がり」でした。当たり前の日々が奪われた私には、そのメッセージがあまりにも安っぽく聞こえたのです。

助け合いましょう、前を向きましょうという言葉だけでは到底やっていけないような非情な現実が目の間に立ちふさがっていました。しかし、その現実はこの10年、ほとんど世の中には出てこず、特に当時10代だった(子どもだった)人たちが何を思っていたのかということも、ほとんど表には出てきていません。

私が高校生の時は立ち向かうべき相手の大きさに打ちひしがれて、「私には何もできないんだ」と思っていました。しかし、たくさんの人との出会いを通して、一番大切なのは、誰かに立ち向かう以前に、自分の足元から変えていく努力をすることなのだと知りました。

私がこの10年で得たものは「私自身」そのものです。

私が自分のために生きるようになった「希望」の物語は、皆さんの物語でもあると確信しています。
死にたい、もう嫌だ、希望なんてない、自分なんて、と思っている全ての人に、読んでほしいと思っています。

たくさんの人に支えられてこの本が出来たことに心から感謝して。。。」

 

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