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9.272020
高齢化社会の弊害…消せない火
まず、誤解を恐れないでいえば、すべての高齢者がダメ…ということではなく、ここで、高齢者を二つのグループに分けたいと思う。
賢老人…自分の人生体験を元に新しく起こってきた問題を多くの人が真の幸福をつかめるように導ける人
愚老人…自分の人生の体験を元に、起こってきた問題を、自分のやり方でやってもらうと別の世代に無理難題を押しつける。
今、にわかに起こってきたように見える、「核ゴミ」問題。
しかし、真の正体は「核ゴミ」などという軽い名前では無く、「高レベル核廃棄物」という立派な名前があります。
約40年前、原子力開発が始まったとき、原子力産業には夢があり、夢を国民に語りました。
あくまで「夢」だったんです。
いつか、月に行きたい…レベルの。
原子力発電で使い終わった核燃料棒(これは燃料プールで冷やし続けなければいけない、4号機が爆発して燃料プールにフォーカスがあたりましたね。乾式キャスク…という方法もでてきたと言うがどこまで耐久性があるのか…?)。
この核燃料棒を刻んでとかして、そこからさらにある種の放射能を取り出して、再利用しよう!
そうるすと無限ループでエネルギーが取り出せるね!
というおっきな夢を抱いていました。
しかし…それは確立された技術では無く、おそるおそる手探りで、確立していかなければならない技術だったのです。
それを確立した技術、日本の科学力はたいしたもんだ、と言ってしまった。
まあ、ハリーポッターが魔法学校に通って、魔法を習う前の段階です。
一人前の魔法使いではない、へなちょこの見習いが、壮大な魔法帝国の夢を語り、予算を取得して、国民に吹聴してきたのです。「もうあなたたちはエネルギーに困ることはなくなる。石油がなくなっても大丈夫!」
しかし…。
原子力の火は「消せない火」であることを国民に隠していました。
もんじゅ、常陽、ふげんなど、高速増殖炉などの、魔法は成立しませんでした。
それらの企画をあきらめたことは、前にしか進めない日本の国策としては、大変、立派な決断だったと思います。
そして…それら高速増殖炉魔法のために、必要だとされた六ヶ所村。
六ヶ所村で燃料棒を加工し直して、プルトニウム(ハリポタでいえばボルデモードのような存在)を取り出して、どうしても再利用できない高レベルの核の汚染物質を、ガラス固化体という加工をして、それどうするか?
そうしようもないから、北海道の人のいないところに捨てちゃえ、という魔法でもなんでもない
単なるゴミステーションとして、実際に、ゴミ捨て場候補になりたいです!自分たちから手を上げさせられるように、美談として
官僚の描いた魔法帝国半分は消滅したのに,残ったゴミだけ、消えない火の加工品を
北海道の過疎地の地下に捨てちゃえ…というそういうものの考え方。
もし、22才で科学技術庁に入った官僚さんは、定年を迎える前になんとか捨て場所を探してる…というところでしょうか?
もしも、みつかれば、彼らが天下れる特殊法人もできますね。
どうして、こんな「魔法」というふざけた話に例えるか…というと、
計画から、そして高速増殖炉をつくってるときからも、そんな技術はなかったからです。
でも、誰かができると言った。
前に進め!魔法によって、進んでいるだけなのです。
今、日本は高齢化社会で、愚老人たちが、「自分たちの言ったこと、やり方でやってもらう」と言うだけの迷惑な存在になってます。時代も何もかもが変わったのに、エネルギー事情も変わった。起きないから避難対策なんて考える必要も無い…と言い続けた原発事故を起こしても責任もとらない。
そういう姿を、若い世代に見せつけて、まるで、「国民を黙らせるにはこうやって強権をふるえばいいのだ」と言ってるようです。
こういうやり方は、原子力産業の「闇」を推定させます。
彼らに反することを言えば、社会的につぶされていく…予感。
誰もが口には出してはいけない…その名前。
ボルデモードのような存在。
何も実態はないのです。
ふたをあけたら、ゼネコンが国民のお金で巨大建築物をつくる…という、ただそれだけのためです。
チェルノブイリへのかけはし…というのは、核事故の被災者救援グループです。
核事故の被災者…いわゆる「被ばく」は、症状も独占され、開示されることはあまりありません。
そしてまだ100年たってないのです。
ヒバクシャ救済…という文化などあっていいものなのか_?
それでも、その救援文化を確立しなければ、「ただちに影響が見えない」ために、加害者が見えなくなってしまいます。
公害…なのに、40年前の人たちがつくった国策だから…みな恐れてその名を口にしないのです。
こんな「闇」システムがあっていいものなのか?
不条理…そのものです。
原発誘致の村には100億円近くの小学校も建ってるのに、たった20億円で、日本中のどこも捨てられないけれど海をへだてた北海道になら捨てられるという恐ろしいものを受け入れたい…と手を上げさせる…。
それは本当に、この国の末期のように思います。
求む、賢老人。若者の幸せをねがってほしい。
昔のやり方を変えない、押しつける…若い世代の迷惑だと思います。
うちの町の調査をしてください、と言っただけで20億円もらえるなら、いいじゃん!
あるいは、20億円でどこかがひきうけてくれるならいいじゃん!
と思った人。
その20億円のために国民がムダに働かないといけないし、税金値上げされてるわけですよね。
消えない火を土中に捨てる…という発想は、人権感覚の無かった40年も前の話です。
今は計画そのものを考え直す時に来ています。
もっとしっかり考えないといけません。
20億円もらってうんぬんではなく、
約40年間、どこもそんなものを引き受けなかった…それはどうしてなのか?
危険性もさることながら、貝塚のように、土中に10万年毒性を消えない物をうめていいのか…という生命体としての疑問もあったのではないでしょうか?
北海道の10万年左右する毒物を、今住んでいる私たちだけで、埋めることを決めてしまっていいのか…という根源的な問いです。
40年たってもガラス固化体の技術ができなかった。もう少しでできると言い続けて40年。
そういう、無責任な話に乗ることが、どういうことなのか?考えてみてほしい。
時には、官僚や原子力産業に、「安全・安全・安全とオームのように繰り返さないで」と、いさめることも必要です。
しかし…。
日本は間違いを正すことが苦手な国。
人間の身勝手さが、前に出すぎてる。
約40年を俯瞰してみれば、民主主義制度が未熟な日本は原子力に手を出す資格はなかったと思います。
小さな自治体の議員が住民投票もなしに、賛成してしまえば、わずか数人で、コワイ施設の誘致ができてしまう。
それ、住民DVですよね?