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武士道・死す

新渡戸稲造『武士道』

この本は日本人の方は一度、読んでみたら面白いと思います。

江戸から明治に代わり、日本にきた外国人(西洋人)が、「日本は宗教教育がないのに、なぜ、道徳が行き届いてるのか?」と質問されて、新渡戸さんが、あれこれ考えて答えた書です。

西洋社会では、上流社会が下流社会の人々の盗みとか、殺人とかそういうことはしてはいけないよ、と教育するのに、キリスト教を利用してきた経緯があります。アンナ・カレーニナ(トルストイ)の中にも、まじめな領主が、どうやって農奴たちをしつけるか悩んで、キリスト教の教えを…うんぬんのくだりが出てきます。

ようは、、うそつくな、盗むな、姦淫するな、殺すな、人を傷つけない、などなどですね。

それはどの宗教でもだいたい同じことを言ってます。

これら道徳を守っていたら、だいたい、道をふみはずすことなく、悪の道にひっぱられることなく、まあ、そこそこ人生の道を歩いて行ける。

けれど、実行するのはなんとむずかしいことか。

個人の努力の世界です。

さて、日本では、こういう教育を確かに、どこでしてるのか?現在の道徳は相当怪しいですし、明治から学校教育となると、個人の良心をそだてる生き方よりは、国のために生きる生き方を道徳と呼んできたように思います。

それで、新渡戸稲造が考えた答えは、武士道が、日本の道徳を形作ってきた。

って、日本の武士は、質素倹約。権力者がこれをやってたら、それは、すばらしいことですよ。

そして、為政者が失敗したら、腹切りして、責任を取る。

責任取ったらもう何も言わない、というようなきっぱりしたものがありました。

つまり、町民農民、商人がだらけていたら、「おまいらだらけてるぞ!権力者であるおいらたち武士を見習え」といえるものがあった。

だから、赤穂浪士も喧嘩両成敗、という幕府のおきてをやぶった幕府に対する抵抗として、四十七士が抗議したわけですよね。

主君の仇を討つ、これも武士の務めでした。

日本の歴史の中で、これほど、権力の間違いをただす事件はなかったのではないでしょうか?

そして、武士政権がほろんだのだからどうなるんだ?

という問いには、桜の花びらのように…とか、ロマンでわけわからない終わり方で筆を結んでるんですが。

武士はミスったら、責任取って腹切り、ですよ。

なのに、第二次世界大戦のときは、庶民兵(農民など)が腹切り(自決)させられてしまった。武士でもないのに。

そんで大本営が生き残って、アメリカの裁判にかけられたことが、私は不名誉でとても腹ただしい。

腹切りというのは、武士の専売特許ですから。

それが、潔さ、だったのに。

だからこそ、命がけで、生きてたのに。

たくわんは、和食では二枚ですよ。なんで三枚だめかというと、身切れ(ミキレ:三切れ)は縁起悪いとまで言って、武士が嫌った。

なんだ、今の日本の為政者は。

オリンピックで、収賄の疑い?(相手方はすでに有罪になってるのに)をかけられた時点で、江戸時代ならハラキリですよ。

為政者たちのやったことです。疑いも垂れただけでも、恥。これは武士道としては許されない。

まあ、でも、武士でもないか。元皇族だから、任期満了で円満退社か。

皇族も庶民もハラキリなんてしないくてよかった世界があった。それが戦争になると、なんで庶民が武士の猿真似させられたのかな~?

そんなわけで、日本は武士道が消滅して、道徳さえも桜の花びらのように軽々しいレベルです。

何がいいたいか?

人を殺してはいけない、という一線を持っていない人が増えてる。

ばれなきゃ、何をやってもいい、というレベルさえも超えて、為政者ならばれても何をやってもいいまで、堕落してる。

警察が「有金無罪」という看板をたてるのも、すぐそこ。

そういうときは、警察も助けれくれないことが多いですから、みなさんお気をつけて。

原発事故の責任を、国も電力会社も、とってない!

あのとき、武士道死んでるってわかって、どうしようもないところまで来ていますね。

何が言いたいか?「悪代官と三河屋祭り」です。

宗教教育もないし、日本は今、霊的精神的に、泥沼です。

金がある、それが道徳になりました。

つまり、お金があったら何をしてもいい、心が痛まない社会。

どういう結果になるかというと、多数が犠牲になっても、毎晩宴会して楽しめる人たちが生き残る世界。

それを地球が「こんな生物いらぬ」と思えば滅ぶ世界。

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コメント

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  • コメント (2)

    • 歴史は繰り返すだけ
    • 2019年 4月 04日

    最近、広瀬隆氏の1980sの著書「ジョンウェインはなぜ死んだか?」を改めて興味深く読んだ。
    ハリウッド映画の戦後黄金時代のスターや映画人多数がガン白血病で次々に死去したのは何故か?
    冷戦時代1950sにアメリカはネバダで100発も大気中で核実験をやった。国家は「人体には影響ないと」嘘宣伝しつつ。
    死んだ映画人たちはネバダ周辺で西部劇ロケを繰り返した集団で、死の灰を浴びて死んだのだ。
    映画人のみならず住民や軍人たち多数も犠牲になり。

    以前から、アメリカやロシアの平均寿命が比較的短いのは何故かと思っていたが、
    アメリカもロシアも核実験や核施設事故で酷く汚染されているからだと、私は思った。

    しかし、今アメリカで核汚染の事実は忘れさせられ、数十万の被害者も全体からすればマイノリティに抑え込まれているんだろう。

    今、同じ事がフクシマで繰り返され、愚かな日本人達は「食べて応援」嘘宣伝にまんまと騙されている。
    日本人は何も過去から学ばず、「ジョンウェインはなぜ死んだか」そのものの有名人・住民の次々の死を迎えている。

    ただ被害のアメリカ映画人/住民/軍人たちは1980sに立ち上がり、裁判で放射能被害と国の責任を一部認めさせたが、日本人はそれもしないだろう。

    そして何百万人死のうが、体調不良者が増えようが、アメリカの1980s以上にフクシマ汚染は隠蔽され、被害者も忘れ去られるだけだろう。

    歴史は繰り返し、何も学ばないアホン人。少数の気付いた賢者が、生き残ればいいだけだ!

      • nora
      • 2019年 4月 04日

      本当に、気がついた人だけでも、とにかく生き残ってほしいと思います。とにかく必死で生き残ろう!と意識しないと生き残れないのかもしれません。
      放射能の被害は、その家系の遺伝子の弱いところに出るので、まちまちですから、証明にしにくい。今の科学の統計学主体のものでは、100年たってもまだ証明できない、それを科学者たちがそういうものだ、と平気で言えるところが、良くないと思います。
      「今の科学では、被害を証明できないのだから原発はやってはいけないのでは?」というのがジンルイにとって、当然の回答のはずです。

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