BLOG

昭和の「妄想の科学」

2月の25日(火)衆議院会館で、北海道の核ゴミ問題に関する省庁交渉に参加してきました。
はあ~やっぱり、テンション落ちますね~。
引きずってました。
出席してきた官僚は、経産省、原子力規制庁、そして、それらと電気事業者からの出向が合体したNUMO。

まず、この人たちって、フクイチ原発事故がない前提で話してるんですよ。
大丈夫、理解してください、そんな言葉ばかり繰り返し。

はあ~ですよね。
小児甲状腺がんが異常大量発生してても、放射能のせいじゃないと言ってる人たちと、席をおなじうする。
不気味ですよ~。

自分はふだん、そういう嘘をつく人とは、一緒にいないので、いるとイライラしてきちゃうんです。
かなり人間関係、タイトにしぼってた。
(募金とか集め始めたらまた頭さげまくるんだろう)

さて。
いつも思うのですが、
なぜか、「話し合え」「議論しろ」と北海道新聞が、寿都町の町長が調査を受け入れる…って表明してから煽り立ててること。
で、これって一つのトリックで、話し合う場で、異論を述べたら「分断」してるって批判されるんですよね。
今の日本人ってそういうふうに洗脳されてるから。
前から意見は一つでありたいという気持ち悪い民族だったけれど。
まあ、その点、固執しますよね~。

次に、北海道に核のゴミ、いわゆる高レベル核廃棄物(ガラス固化体)にしたものを、埋めすてたい、という。
で、みなさん話し合え…。と書いてる新聞も、賛成反対、この原子力エネルギーの「うんち」を受け入れられるかどうか、ってところで、攻勢かけてくるんだけど。
正直、一般人にわからねぇ!のに、なぜ話し合えというのか?
(原発はトイレのないマンションと、昔から言われてました)

40年ほど前に北海道の幌延問題を誘致したときは、専門家が、週刊誌や新聞紙上で、ぎゃんぎゃん討論していました。
おまいらマスコミ、なんで一般人になげこんでくるんだよ?
ってところ。

そして、今回の省庁交渉も、「わあ~省庁の皆さん来てくださってありがとう!お忙しいのに」みたいな立ち位置に立たなくてはいけない。
なんで?
話し合えと手を回してきてる人たちが、実はけんけんがくかく討論するのもいやだし、質問は紙に書いて後で答えるとか、冷や汗ダラダラのご様子じゃないですか?
北海道でローラーかけてる各地の説明会で。

何聞かれても正直に答えます、ってならない。話し合いの場をこっちが設定したら、いくかいかないかわかんないし~みたいにごねる。

そして、まあ、それを言っちゃあおしめえよ、なんだけれど。
そもそも埋める…といってるガラス固化体をつくる技術が確立されていない。
つまりこれが「妄想の科学」と言えるゆえんです。
しかし、
そこにものすごい予算がついてくる。
今、アメリカのUSAIDの予算が海外に送られておかしなことに使用されてきたと話題になっていますが、日本は上級国民たちが原子力産業にへばりついて、予算をずっと自由に使いまくっています。

で、今回の省庁交渉でも、NUMOが、寿都町の「対話の場」にお金を流していた…って。それが参加者に町から配布されたらしいんだけど。
「もらわなかった人もいますから」
ナニ言いたいの?
これ、買収にあたるでしょう?
実際のところ、賛否両論、町が二分されていて。
そんな危険なもん持ってくんな!という異論を言った人たちは、町を分断してるとまでイジメられるのに。
その対話の場に出られる人は、町がチョイスする権限があり、町が参加者にお金を払う…って、もう、悪代官と三河屋みたいな構図じゃないですか。
(実際のところ、福島県のどのエリアまでかしりませんが、原発に近いエリアの人たちには、半年に5000円ずつ、振り込まれていたそうです。それなんのお金?わからなかったと言ってました。けれど、なんとなく人は親しみをもってしまうんですよ。そういう効果はあります。猛烈な反対になれない心境)

さらにNUMOの態度に驚いたことは、国会議員の福島みずほさんが同席されていて、「それはおかしい、いったいいくら出したんだ」と質問しても、『いえませ~ん』って何度も言うんだよね。

え?国会議員が国の事業の一部として、NUMOがイケニエ地を探してる。その「対話の場」に参加費をいくら払ったか?答えない権限をNUMOが持ってる!ということに、ドン引きしました。
この人たち、国会議員の上におるのか?

しかし、今の日本は、不正なお金のながれ、利権にお金を流したり…。ウラ金とか闇ガネとか、もう、「ソレの何が悪いんですか?上級だから何やってもいいでしょう?」って感じになっちゃってんだよね。
国が腐敗してしまって、不正を正せない。

国民に嘘をつくのもやだし、国民の代表の国会議員さんを無視するのも、無礼ですよ。
もちろん国民に対して。

毎日新聞 1984年9月4日

ちなみに、このガラス固化体の横にたってたら数分で死にますから。
NUMOは事故起こったらかけつけますみたいなサービストークしていましたね。300年?
わ~お、少子化で国が亡くなると言われてるのに、このヌルヌルしたトークはなんだ?
机もち上げて、ちゃぶ台返ししなかった自分を恥じています。

事故が起こってどれだけの人たちが泣かされたか、それがまったくなかったことになってしまってる。
いや、事故前以上に、ゆるゆる基準になってる。
なんでこうなった?

妄想の科学…。
誰か止めなよ、もうオウム真理教を笑えないよ。

1980年、槌田敦さんがこのような警告をしていた。
私たちの国には当時、二つの道があり、どちらを選択したのだろう?

処分の限度は原子力工業の限度である
(pdf)

私たちは、大地震が連続して起こる時代に、また原発再稼働を選択しようとしてる。
そのために、核のゴミ捨て場をお金で釣ろうとしていますよね?
そうじゃない選択肢もあります。

  • 昭和の「妄想の科学」 はコメントを受け付けていません
  • 事務局日記

関連記事

コメントは利用できません。
ページ上部へ戻る