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被ばくの症状10 被ばくの実相2 慢性原子爆弾症とウサギ①

被ばくの最初の被害は、熱戦によるやけど、生皮をたれさげた状態で幽霊のようにさまよう姿、次々と人々が倒れてなくなっていく。怪我をしてないのにも無くなっていく。がんや白血病…。
そして
身体が疲れやすくて働けなくなる謎の後遺症…に襲われ、この症状が、怠けているように見えて、国民には理解してもらえない苦しみを被ばくされた方がたは味わい続けました。
以下、財団法人 広島原爆障害対策協議会「30年のあゆみ」『被爆者、市民とともに』より抜粋 1991年発行

『被爆後3ヵ月を経ると、放射能による急性症状を脱した人々は徐々に精気を取戻し、火傷を負った人達の傷も極めて緩漫ではあったが治癒に向かい生きる喜びを味わうことができた。
 しかし、それも束の間、1年後には治癒した火傷の傷が再び醜く隆起し、その部分を切取って植皮手術を施しても醜いケロイドの構生に悩むことになった。
 【またこの頃から疲れやすく根気がない、風邪をひき易く治りにくい、精神不安定等の症状を訴える被爆者が多くなったのである。
ところが検査では異常がみられず外見も病人らしくない為に、これらの被爆者は“原爆ぶらぶら病”と呼ばれるようになった。】
3年目頃になると、悪性の貧血や白血病、眼の水晶体混濁による白内障等、「原爆症」が明瞭な形をとりはじめたのであった。

●原爆障がい者に対する治療・援護対策を講じる立場にある広島市は、市民の約 1/3の被爆者(1951年の広島市人口は300,435人)を抱えながらも、原爆による全市的な壊滅状態からの復興に力を注ぐのが精一杯の状態であった。医師の大多数も表2(略)の如く原爆で死傷しており、 また市内医療施設の3/4は灰燼に帰して被爆者の救護活動をおこなう組織的基盤がどこにも無かったのである。

死の不安におびえる広島・長崎の被爆者はまた、社会からも孤立を強いられていた。占領軍が敷いたプレスコード(報道管制)は依然解除されておらず、そのうえ1949(昭和24)年

米国が「原爆被爆者は現在、完全に治癒し、認むべき影響は残っていない」との見解を発表して原爆の実相を覆ってしまったために、国民の大多数は原爆後遺症で苦しむ人々がいることすら知らなかったのである。
被爆者はABCCの診療下におかれ、検査や死後の解剖はされても治療はされず、「モルモット」扱いされた暗黒時代が続いたのであった』

すでに被ばくの翌年から、ぶらぶら病様の症状が後遺症として襲ってきてることがわかります。
次に、
被ばく研究の日本の大御所、都築正男さんが言及してるのでご紹介したいと思います。
彼はぶらぶら病という言葉を使用せず、慢性原子爆弾症…という言葉を使用しています。

「医学の立場からみた原子爆弾の災害」(昭和29年2月)


(写真は「広島新史 資料編1」より)
都築さんはアメリカの調査団と合同で被ばくの被害調査をしていました。というか、彼が1000人近くの日本人専門家を陣頭指揮とっていたといっても過言ではないです。そのいざこざのお話は次回にご紹介したいです。

*都築正男氏の考える「慢性原子爆弾症」
これは、主として、第一次放射能の傷害により、身体の諸臓器にそれぞれある程度の影響を被りながら、その程度が軽かったために、中度以下の放射線病にかかったが、幸いにして回復し、又は、放射線病の症状は示さなかったが、所謂潜在性放射線病者として経過した人々、現在では大体に於て健康をなり、夫々の業務を営んではいるが、常に疲れ易いことを訴え、業務に対する興味ないし意〇が少なく、〇〇感冒や胃腸障碍、特に下猟に悩んでいる人々のことをいうのであって、 健康者と病者との中間に位する人々である。
これ等の人々は、常に身体的狀況の異常と経神的能力の衰えとをかこつている。医師に診察してもらっても、他覚的には、特に異常な所見は認められない、又、血液や尿やその他に就て詳査をしてもらっても、得られる機査成績は常に正常値の範囲内である。だから、診察した医師は異常はないと判断する。しか L、彼等はそれに満足し得ない。
何となく、身体的或は精神的に異和を訴えて不満である。 慢性原子爆弾症(略して「慢性原爆症」と云ってもよかろう)の人々の内には、第一次放射能の外に、誘導放射能、特に、体外誘導放射能の影響と、原子核分裂破片の作用とをこうむっているもつているものもあるものと考えなければならないと思うが、これらの第二次的ともいうべき放射能の作用は、極めて微弱ではあるが、作用する時間が極めて永いために、その生物学的作用はある場合には無視することが出来ない。

*発症する人はこんな人たちではないか?という推測(根拠は示されていない)
しからば、このような、慢性原爆症はどうして発生するのであろうか。前述のように原子・ 爆弾の傷害威力、特に放射能の傷害に帰国した諸内臓機能の障碍にもとづくものと考えたい。
しかしすでに8ヵ年を経過し、その間、どうやら生き延びて来た人々であるから、そんなに高度の内臓の故障が残っているとは考えられない。
生活力の予備力に不足ないし欠陥力がある狀態と考えることが、万事を理解するに都合がよい。たとえれば、貯蓄のない、その日暮らしの生活のようなものであつて、何等かの事件が起ると、生活に破綻を来たし易いのに類するのではなかろうか。従って、これ等の人々はそれ等をめぐって発生する正常乃至納的のStress に対して量的或は質的に異狀な反感を示すのであつて、特殊な條件が備われば後遺症乃至後影響症としての発病も起り得ることとなるのであると思う。

*判断方法の提案
特殊の症状がないから、自覚的の訴へあるいは他覚的の所見を以て判断を下すことは困難である。
(1) 被当時、どの位の第一次放射能の傷害を受けたか
(2) 急性放射病の駅を発したか、発症した場合には、その程度はどうであった
(3) 被煙直後 1~2ヵ月の間に、第二次放射能の影響を受ける機会が濃厚であつたか。

*治療方法
次に、慢性原爆症の治療について一言したい。勿論、現在の医学に於ては、慢性原爆症の存否さえも未解決のことであるから、その治療方策などは、あり得ないのであるが、臨床医学の立場からいえば、現在、何万という人々が、その軽重は別として、この種の障に悩んでいるとすれば、とりあえず、その対策を考えなければならない。本態の解明まで待ってはいられないのである。

幸にして、慢性原爆症は、今日の狀況に於ては、平安な日常生活がつづく限り、さしたる支障はないのであるから、なんとかして、無理な生活を避けしめるように指導することが最緊要事である。個人個人について、生活力の予備力の限度を考察し、その破綻が起こらないような生活を営ましめることを努むべきであり、特に慢性結核症の療養方において、似たところがあると思う。

慢性原爆症が放射能による諸内蔵機能の減衰にもとづくものとすれば、その機能の回復を図ることは、現代の医学の力では善だ困難なことである。殆んど不可能なこととも考えてよふろう。従って、庇護的の手段によつて、平穏な生活をつづけ得るようにしなければならない。そのためには、狭義の医的庇護だけでなく、社会保障的の養護もまたはなはだだ肝要であるといわねばならない。

以上、都築正男氏の見解を転載させていただきました。
「*」引用した文章のタイトルのみ、意訳させてこちらでつけました。

アメリカが…後遺症などないと言うと、もうそれについて日本人は語れない。
けれど被ばく者たちは、それに苦しんでいる。
アメリカと一緒に調査してる都築氏は当然知って、慢性原子爆弾症…として言及した。

都築氏の見解が公式見解になっていく。
つまり、被ばくのせいとはもう8年たってるんだし、内臓障害もなおってるはずだからはっきり言えないけれど、症状があるのだから無理させずに、養生させることは重要だと。

そして、都築氏は、その症状がある人は「無理をしてはいけない」と注意されています。
彼の立場で、これをいうだけで精いっぱいだとは思いますが、ちょっとよんだだけでは、玉石混交で何がいいたいかわからない。
つまり、逃げ道を用意しながら、ヒントを話してる。そして、違う話も混ぜて、けむにまいていく。あとは被ばくしたときの距離の話になっていく。
(慢性原子爆弾症…だけでなく、ほかの病気を発症してる人たちも、内臓障害があるので無理はしてはいけないと言ってます)

チェルノブイリでも言われていましたが、被ばく者の身体の老化、酸化と言える症状と似通ってるように感じます。
良質のビタミンやミネラルを摂取して、生活費や治療費のことを考えず、ゆっくり温泉で湯治することが、体力の温存になる。
まさに保養…。
広島原爆障害対策協議会のあゆみの報告で書では、「温泉療法」がことのほか、被ばく者に評判が良かったとあります。

都築氏には、一つの疑問が残ります。
原爆投下後 1945年8月29日に広島の惨状をみて、2~3日で、あっというまに、kmごとの症状をまとめあげ、治療法をアドバイスして帰京できたのか?
人類初の原子爆弾、放射線被ばくの症状の多岐にわたる症状を知っていたようにしか思えない。

しかし、彼のウサギの実験の話(あまり自慢のしない彼の実績のぽインド)から、放射能の専門家のもののみかた、発言の仕方が、なんとなくわかったように思います。

原爆の被害調査(日本から見て)、アメリカからみて、原爆の効果(人的被害)が、表裏一体であり、人類初の人口の多い都市での実験、いろんな人たちが書き残してるヒロシマナガサキ。
どこから切り取るかで、別の様相が見えてきます。
つまり、後世、被爆者認定裁判なる儀式において、都築氏が「刑事のカン」ならぬ「特別な知識をもった医者のカン」のようなもので、法則めいたことを言ってしまったことが、のちのち、効力を発揮してるように思えます。

彼のウサギの実験の全貌がわかったのは、彼の話からではなく、ジュノーさん(被災されたかたに医薬品を配布してくださったドクター)という愛称でしたわれた方の記録からでした。
そこでタバコ派がチョロチョロ出現する理由も見えてきました。

資料の切りばりで大変読みにくいかと思いますが、どうぞお許しくださいませ。

(余談ですが、広島新史ではほとんど都築正男氏の書簡集といってもいいのに、写真は、横顔のだけ…です。)

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