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1.212025
被ばくの症状1 保養の始まり
1992年7月
はじめて北海道に「保養」の子どもたちがベラルーシからやってきました。
まず、「保養」という言葉が、簡単なようで難しい。
日本でいちばん最初に「保養」という単語が使われたのは、この記事の記者のかただということです。
ベラルーシの救援団体が、汚染地域で体調に異変をきたしてる子どもたちを、東ドイツの人々が、受け入れてくれました。
そのときは、何かの効果が得られると思っていなかった。
ただ友人として、子どもたちに素敵な時間をプレゼントしたいという、一般人らしい思いやりです。
けれど、1か月の保養のあと、子どもたちがとても元気になった…ので、保養運動が広がっているという内容の記事です。
記事の中では、「呼び寄せ」という表現も使用されています。
【この呼び寄せ運動の目的は被ばく汚染地域で行動が制限されてる子どもたちの心身をリラックスした状態にすること】
とあります。
あるいは「放射能汚染の目に見えない恐怖に対する、目に見える形での抗議」
保養の最中は、特別に注意を払ったのは「子どもを医学の対象にせず、完全にありのままで過ごすことに徹する」こと。
この、ドイツ人のかたのおっしゃってる方向性…は、世界中に広がっていった海外保養活動にとって、「完全なる放射能からの休暇」を与えることになったと思います。
(放射能のことを忘れる時間になったと思います。)
というわけで、ドイツ人からみて、「チェルノブイリの子どもたちを保養に招くこと」は彼らの使命のように感じて広がっていったように思います。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一され、西と東の経済格差もドイツにとって課題でした。
そして西ドイツの人たちが、東ドイツに訪れたときに、彼らがチェルノブイリの子どもたちの呼びよせボランティアをしてる、ということが衝撃だったそうです。
そして、これは大変なこと、として、世界中へ、この活動への参加のよびかけを始めました。
ドイツの、チェルノブイリ救援は、第二次世界大戦の戦時補償の位置づけもあり、多くの費用は政府が負担し、民間の人たちはボランティアで参加していました。
スモルニコワ先生やウラジミール先生が、この子どもたちの体調がおかしい、なんとか、できないだろうか?
小児甲状腺がんや出産の異常、あるいは、いろんな病気で大人や子どもたちが死んでいく。
そのわからないことが起こってる恐怖…を想像してみてください。
そら、大変だわ~わかったよ、
保養が効果があるかどうかすらわからないが、まずは友人として、元気のない子どもたちをドイツに呼び寄せるよ、という位置づけですね。
医療行為ではない。
(すでに病気を発症してる子どもたちは、医療の支援ルートがつくられ、ドイツは小児がん病院をベラルーシに建築してあげました)
保養はあくまで、「発症してない汚染地域に住んでいる」どんよりした子どもたち、を対象としていました。
彼らは、いつ発症してもおかしくない「チェルノブイリ・エイズ」だと言われて、外部被ばくと内部被ばくによって、体力と抵抗力が落ちてると言われていました。
ロシアやベラルーシの人たちは、ものごとを少し芸術風に表現したりするので、お医者さんが「病気の花束を持ってる」というふうに言うこともありました。
どこが一つ体調がくずれたり、親の死などショックなことがあると、あっというまに、次々といろんな病気を発症してしまう、そんなギリギリのところにいる。
けれども、血液検査をすると発症前は、さして異常がない。
つまり、汚染地域に住んでいて、抵抗力が落ちてるけれど、まだ発病していない子どもたちに、保養で抵抗力をつけて、半年から1年間、病気にかかりにくくする、という取り組みです。
そのように、かけすての保険のような、活動だったのです。
これが本当に、わかりにくい。日本の人になかなか理解してもらえない。
なぜ、医療しないのか?医療で抵抗力をあげることはできないですよね。
転地療養…という言葉は、すでに何らかの病気にかかってることを連想させますし、呼び寄せ…というのも、なんだか寒々しい感じもしますね。
「保養」という言葉の響きもあたたかく、よい言葉だと思います。
日本に保養にやってきた子どもたちも、元気そうに見えるのですが、ちょっとしたことで、疲れてすぐに横になったり、けがをしたら、いつまでも皮膚がかさぶたにならない、など、普通の子どもたちとはやっぱり違うよ、なんて里親さんたちはおっしゃっていました。
特に、保養に来た直後は、食が細くて、仏壇にあげる(笑)くらいしか食べられない、という里親さんの名言もあります。
食習慣の違いもあるでしょうが、しかし半月ほどたつと、今度はどんどん食べられるようになり、背が伸びたり、髪の毛が伸び始めるというのですから、やはり、とらまえきれないところで、放射能が子どもたちの成長を阻害してることはわかりました。
しかし、じゃ、被ばくとはなんだ?どんな症状だ?と言われると、う~ん、よくわからない。
しかも、子どもたちは体調が悪い時は、「頭が痛い」「おなかが痛い」というふうにしか表現できないことが多いです。
ベラルーシに医療支援していた、日本の医師の方が「いわゆる不定愁訴と表現できるかも」とおっしゃっていました。
また、さすがお医者さんです。保養は「養生」という意味もあるね、と。
ドイツの方がおっしゃっていたように、効果を期待してやってんじゃないの!友人の子どもをよんで遊ばせて元気づけてんの!
っていう感じは、子ども相手の活動ではとてもわかりやすいですね。
そうなんです。
更年期の女性が、よく体調が悪くなって、あちこち調子が悪い、という。
あれです。結局は、薬を飲んだりなにをしてもよくなる決め手があるわけでもない。
あの感じです。
それが、子どもたちがそうなってしまう。ときには起きられない、だるい、ゴロゴロしてる。やる気がない。
かといって、白血病だとかがんだとか、病名がついてるわけじゃなく、血液検査をしても、さして異常が出てこない。
体調が悪くなると一気に病気があちこちから噴き出す。
「ああ、それは、ヒロシマナガサキでいうところの、原爆ぶらぶら病と同じだね」
2011年6月3日 医療相談会にお願いして足を運んでいただいた
医師の肥田舜太郎医師が、そう、おっしゃったときには、ぎょっとしました。
(肥田舜太郎先生は自らも広島で被ばくされ、以降、被爆者の救済に取り組んできた医師のかたです)