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1.152025
愛と放射能の天秤 10 小児甲状腺がんの増加を 科学はあとから認めるだけ 1
いったいお前はこんなにダラダラ何を書いてるのか?
と問われたら
チェルノブイリとフクシマの原発事故のあったことを記録しておきたいからです。
後世の人たちが、いったいなんでこうなったのか?ということを調べようと思った時、あるいは考える参考になったらいいのかなと思うのです。
今でも、広島長崎で被爆されたかたの体験談をよむと、被ばくによってどんな苦しみ、社会的な迫害を受けてきたのか、その苦難の歩みがよくわかります。
フクシマ原発事故の後、チェルノブイリの被害を受けた子どもたちの保養のお話会をさせていただきました。
お話を聞いてくださったお医者さんが、「チェルノブイリで隠せなかったことは、小児甲状腺がんの発症と、死亡率の増加だね」とボツリとつぶやかれました。
なるほどなぁ、あれだけ、空間線量が高い中に取り残されて、お母さんたちが子どもたちを守るためにパニックになってるときに、事態の大枠をしっかり把握する客観的な能力…。
さすが医者さん。
さて、これはワシーリ・ネステレンコさんがまとめられた「手術をした子どもと成人の人数」を紹介されています。
で、ここで、86年、87年の、小児甲状腺がんの発症数が2人、4人、と少ない数の発症ですが、ベラルーシの医師たちは異変だと考えていました。ところが、そんなことはない、しかも放射能のせいだとしたら発症が早すぎる…と、西側の有識者たち(今風に言えば)から、嘲笑されたそうです。
当時は、旧ソ連に甲状腺エコーの機械も少なく、ガンの治療施設も不十分でしたので、医療レベルも、旧ソ連は低いのだ!というふうにみられていました。
(そもそもあまり小児がんとかの患者が少なかった)
しかし…小児甲状腺がんは大変めずらしい病気で、100万人に一人と言われています。
そのことを、どうとらまえるか?
小児甲状腺がんは、進行が速いので(子どもなので更年期の女性のように、様子見してたらあっというまに、転移してしまいます)
統計で被害がはっきり出てきたときは、子どもたちにとっては手遅れなのですから。
別の病気ですが、チェルノブイリで白血病が増えてないのだ…という専門家もいます。
その話を、放射能に汚染されたエリアの医師の方と話したことがあります。
「それでも、人口の少ないわが村のようなところで、毎年、白血病の子どもが一人発症したら、異常だと思わないかい?」
そうなんだよなぁ。10万人あたりの統計にならしてしまうと、そういうことが、異常ではなくなってしまうんだよなぁ。
そして、小児甲状腺がんの発症は早すぎる、それはヨード不足の風土病だと言ってきたヒロシマナガサキの被爆者研究のトップアスリートともいえる重松逸造さんがそういうのなら、反論できないよなあ。だって、被爆者なんて診たことないんだもん。おいらたち、医師は。
という、ふうな役に立ち方をしていました。
結局、IAEAは、事故から10年が経過してようやく、「小児甲状腺がんは放射能のせいだった」と認めました。
彼らは、なんでも、自分たちが、いちばんよく知ってる…という態度ですが、
そう言ってるだけで、
チェルノブイリ級の死の灰のヨウ素をたべたり、吸い込んだりした子どもたちの事例が、当時はなかったのです。
むしろ、科学的にはじめての事態が起こったのに、「それは違うそれは違う!」と叫んで、世界中の人たちが「もういいかげん認めなよ」というひんしゅく圧の中、もっともらしく「私たちは放射能のせいと認めてあげます」という王様な態度。
あとからみればとても愚かな話ですが、当時は、ようやく認められた…という一つの壁でした。
日本でも、人類史上、たった二回目の原発事故ですよ。
小児甲状腺がんが増えているけれど、これは放射能のせいではない!と、また知ったかぶりが威張り散らしてますが、それもその場しのぎで、あとで恥をかいても、周囲がチヤホヤして権威みたいな顔して、本でも書いていくんです。
チェルノブイリの場合は、ヨウ素不足の風土病といったそうですが、日本の場合は、放射能のせいではないことだけは言える、という段階のようです。
それで、みんなが、はいそうですか?と100%納得したと思ってるんだろうか?
チェルノブイリの事例とは違うとか、なんかいろいろ言い訳してるけれど。
ベラルーシでは、小児甲状腺がんが多発した地域で、チェルノブイリから300km離れた村でも、土壌や子どもたちの内部被ばくをしらべて廃村にしていました。
日本では、ベラルーシと同じだけの調査をして、まったく違う、それにあたらないと全否定できるデータをもってるのか?
他人事だと思って適当なんだよなぁ。
愛がない、につきますね。