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1.142025
愛と放射能の天秤 9 誰の味方なのか?
チェルノブイリ原発事故のあと、小児甲状腺がんが増えたことは、ごまかしがききませんでした。
誰の目にも、それは、チェルノブイリの放射能の死の灰のせいだとわかるからです。
それが、「ヒロシマの医者」がわからない、否定された…ということが、二重三重にベラルーシの人々を傷つけました。
旧ソ連は科学アカデミーがありますから、そこで、さまざまな政策方針が出されます。
民間人が放射能の影響を調べたり、まとめたりそんなことはできません。
(日本のように土壌測定したり、空間線量を計測するツールなどありませんでした)
この問題は、ほんとうにこんがらかった糸のようです。
一人の科学者を紹介します。
鮮明な写真がなくて申し訳ないです。
ワシーリ・ネステレンコ氏
彼は、旧ソ連の中では有名な核物理学者であり、ベラルーシ科学アカデミー原子力研究所所長(1977~1987)
原子力エネルギーと放射線に関する300以上の科学論文を執筆。
1990年以降は、ベルラドという放射線安全研究所を創設し、子どもたちの内部被ばくの計測とビタペクトによる内部被ばくの軽減の研究をされました。
(2008年没)
チェルノブイリ原発事故が起こった時、彼が関係のセクションの役人たちに、これは危険な値になってるんだと警告し、走り回ったけれど、会ってすらもらえなかった話などは後述するとして、私の記憶に残ってるのは、ちょうどワゴン車の少し大きくしたようなぐらいの原子炉の設計図を書いておられて、それをめちゃくちゃにやぶって誰の目にもふれないように廃棄してしまった…なんて逸話を覚えています。
結果的には、科学アカデミーの中で活動できなくなり、内部被ばくを計測する機械を車に乗せて、汚染地域の人々の内部被ばくを計測する活動を始めました。
もちろんこのような活動は、政治的圧力を受けます。
さて、愛と放射能の天秤…というタイトルの真意について考えてみます。
チェルノブイリ原発事故のあと、飛び散った放射能と、それぞれがどう向き合った来たのか…。
私たちがお伝えできるのは、ある種の現場にいた体験です。
さて、チェルノブイリ原発事故後、放射能問題は隠されていました。
そして、ようやくゴルバチョフ大統領の目に、汚染地図が公開され、今度は、この汚染地の対策をどうするか?
という国家としての解決策を国民に示すときがきました。
ここで、旧ソ連内の科学者たちの対立がありました。
1)移住などさせなくていい派
2)低線量の被害はわからないことがあるのだから、移住など対策をさせるべき
両者あいゆずらず。
そこでゴルバチョフ氏は、IAEAの意見を聞いてみよう…という流れの中で、「国際チェルノブイリプロジェクト」IAEAの介入が起こりました。
ざっくり言うと、移住などさせなくていい派にIAEAが組みしました。
!)移住させない派、 2)移住など数々の対策をとるべき 3)そこまで何もしなくていいbyIAEA
という3つの派ができたのですが、みつどもえにならず、1と3は、意気投合できます。
このIAEAのプロジェクトの議長が、重松逸三というヒロシマの放射線影響研究所の所長さんでした。
彼が、「小児甲状腺がんは、放射能のせいではない。ヨード不足の風土病」というふうに、結論づけました。
すでにIAEAはこのように発表するとわかっていて、日本の多くの市民活動家も彼をたずねたりしているのですが、聞き入れられませんでした。
そこでネステレンコ氏のこんな冊子からのグラフをご紹介したいと思います。
これは、チェルノブイリ原発事故以降、甲状腺がんの手術した人数です。
「1」は、ベラルーシの大人と子どもの術後の人数
「2」は、国際チェルノブイリプロジェクト(IAEA)の主張する40年後、甲状腺がんの発症がこのように急激に増えるはず、
と主張(はこんなグラフだ!)
おかしいだろ!という大科学者の怒りが伝わってきます。
なにせ、被ばくのことは、ヒロシマナガサキの研究者がいちばんよくわかってる。
彼らは、被爆者の味方なんだ…という誰もが疑わない、ある種の思い込み。
彼らは、ここで起こってる甲状腺の手術の増加について、「風土病」だと説明しています。
しかし、体育教師のウラジミール先生が叫んだ通り、「事故前はこんな病気はなかったんだ、どうしてヒロシマナガサキの医者にわからないんだ!」
現実は、事故の後、甲状腺がん増えてきてることは明確でした。
自分たちの理想と違う現実の悲劇。
現実のほうを否定する手法。
急カーブでたちあがる甲状がん?????
ヒロシマナガサキでは小児甲状腺がんが存在しないことになりますよね。
みんな大人になってから。
しかし、そんなことをいちいち議論するのはとっても愚かなことのように思います。
こんなことは、ウラジミール先生が言うように、事故のあと起こったことなのだから、事故のせいだと想定して、対策を先に考えないと、子どもたちや国民を救えないのです。
科学的な決着、IAEAの人たちを納得させる必要があるのか?
実際に、IAEAは、「こんなに小児甲状腺がんが早く発症するわけがない」として、放射能起因説を否定しました。
それを予測して、IAEAが報告を全世界に出してしまう前に、ベラルーシ・ロシア・ウクライナで、先にチェルノブイリ法をつくったそうです。
まさに滑り込みでした。
自国の放射能の被害を隠蔽しようとしてる科学者たちだけでも、面倒なのに、IAEAとも戦わなければいけなかった、国民を救いたい科学者たちの奮闘ぶりが目にうかびます。
結局、ゴルバチョフ大統領が、事故の被害を小さく見せるために、西側から組織をつれてきて、過小評価させた、という憤りもまた、沸き起こりました。
IAEAが認めなくても別にいいんじゃないの?
チェルノブイリ法ができたんだから?
広大な面積が汚染され、旧ソ連も崩壊し、経済が回らなくなっており、汚染のない食品を、汚染地域の子どもたちへ届けたくても、国連関係が、「小児甲状腺がんは放射能のせいじゃないのだから」という理由で、救援活動の腰が重く、私たちは、国連の北京会議にやってきた世界中の女性たちに救援を訴えました。
とにかく放射能の入ってない食品が子どもたちに必要でした。
誰もが、IAEAがワケありなんだよな、と心の奥で思っていても、どうすることもできなかったのです。