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1.132025
愛と放射能の天秤 8 ものごとの道理は世界共通 小児甲状腺がんをめぐる攻防
道理…などというと、すごい、難しい感じがしますけれど。
簡単なことです。
たとえば、原発事故を起こしたら、国が責任取る。
そんなことは当たり前のこと。
子どもがしたことは責任取れないから放免されますが、責任取れる人のことを大人と言いますよね。
個人で原子力発電なんてつくれないわけで、原発事故の責任は個人にないです。
しかしたまに反対しきれなかった国民のせいだと言ったりする人もいますが、それは意味としてはあるかもしれないけれど、ハッキリと、原発事故の責任は国にあります。
事業者があああ、運転員があああ、と言う人もいます。
そういう人たちに運転をまかせた国の責任です。
今の日本は、空洞です。
原子力犠牲委員会が、原発稼働のGOを出すわけですが、万が一事故が起こっても、その人たちが責任を負うことはない。
これは道理からはずれてるんですね。
多くの人に迷惑をかけるものとやっていいよ、と言いながら、その被害の責任を取る人がいない。
しかも、それは被害じゃない、とか、65歳以上は汚染されたものを食って責任取れとか、もう、お子様世界なのか?と思います。
閑話休題
このドラマには驚きました。
当時の、旧ソ連ンの室内装飾とか、ファッションスタイルとか、再現されてて、エリツイン時代が終わるまではああいうスタイルだったように思います。
そのときの「小児甲状腺がんが増えてる、病院の視察を…」とかそんな空気を思い出しました。
私たちが受け入れていた子どもたちは、あるときから、母子家庭がすごく多くなり、なんでだろ?と調べたら、チェルノブイリ事故の作業にかかわり、のちに命を落としたお父さんたちがいたときでした。
消火作業の場面は、その子どもたちのお父さんたちに重なり(徴兵された若者たちが行きましたので後遺症も多かったのです)、直視できない場面も多かったです。
ベラルーシの人はこのドラマを見る心の準備はまだできないかも。
そして、ドラマで描かれていたのは、消火作業に当たる人たちと、そして科学者たちですね。
事故は、国の責任ですが、責任をとっていくには、科学者などの専門家たちの質と、国民がどのような道理をもって為政者につきつけていくか、につきるように思います。
1994年に小児病院を訪れたときは、お医者さんたちは半泣きで、子どもたちが甲状腺がんになっちゃって…いったいどうなるだろう?と右往左往していました。
私たちが視察におとずれたときには、すでに100人以上が発症したと。
100万人にひとりといわれてる小児甲状腺がんが。
しかし、人としての「情」というのは、これまた民族を超えて共通なんだなと、思ったものです。
なぜなら旧ソ連という国の人たちのものの考えが当時はわからなかったからです。
現在は、日本のお医者さんたちのほうが、理解できないと思っていますけれど。
どうしてあなたたちはそんなに冷静に放射能のせいじゃないと、言えるんだろう?
不気味です。
話が36年分なので、時代をあちこちするので、年表を入れますね。
なぜ、そうなるかというと、チェルノブイリ原発事故のあと、トラブルになったことを、日本がまた同じことを繰り返してるからです。
つまり、人間のすることは、同じなんですね。
原発事故を起こした…。
その後、小児甲状腺がんが増えた、国が責任を取る…という結論に達しないように、チェルノブイリの医療の現場に、いろんな外野がささりこんで、なんとしても「放射能のせいじゃない」という結論を持っていたのが、IAEAのチェルノブイリプロジェクトという調査団です。
その調査団の団長が、ヒロシマの放射線影響研究所の重松逸三所長という方でした。
「ヒロシマでは~そうじゃなかった」作戦が展開され、現場は大混乱。
先にご紹介した、ウラジミール先生が「ヒロシマの医者が小児甲状腺がんが放射能のせいじゃない!って言ったんだ!体育教師の私でもわかることなのに。事故前はそんな病気はなかったんだ」というその怒りを引き起こした張本人です。
科学とはなんぞや…と思いますね。
そのとき、私は、「え?他国の子どもたちの健康を害するようなことに加わるなんて、どんな罪深いことしてるんだろう?その因果応報で日本の子たちが病気にされたらいやだな」と頭をよぎったことを覚えています。
ベラルーシに出禁になった、官民からきらわれまくった人ってどんな顔…って感じですので、似顔絵描いてみました。
あまり、いいことではない所業を書いていくことになるので、供養と謝罪の意味もこめて。
なんのことはない、日本のどこにでもいるやさしそうなおじいいさんのような顔しています。
この人が音頭をとって、IAEAが、子どもたちの甲状腺がんは放射能のせいじゃない、とIAEAの議長として発したことで、国連のさまざまな機関が救援に後ろ向きになりました。
「ヒロシマとチェルノブイリでは被ばくの型は違うのだから」と科学アカデミーの科学者のかたが言っておられましたが、その方は私と同い年ぐらいですね。
事故のときは20~30代。そのときは、とんなふうに達観できなかったと思います。
子どもたちが小児甲状腺がんになり、手術をしても再発して、なんども手術台にあがることになってパニックになってるときに、ヒロシマの医者、原爆の影響を研究してるところの所長さんが、まさか、それは放射能のせいじゃない!と言うと思ってなかったのです。
地獄に仏…という言葉はありますが、現実世界は、地獄で会うのは鬼なのです。
チェルノブイリで起きた小児甲状腺がんにまつわる「すったもんだ」について、何回かにわけてご紹介したいと思います。
「すったもんだ?」
はい、それは、科学ではなく、原子力反対の声が大きくなってほしくないという西側に都合のいい結論をつくりあげていました。
質の悪い芸術のような創造性。
人類史に、原発事故のときは必ず起きる、道理のわからない人間が引き起こす「すったもんだ」なんだと記録されるべき。