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1.102025
愛と放射能の天秤 5 チェルノブイリ法のCi(キュリー)ってどんなだ?3
チェルノブイリ法の考えかたについて、あたかも、私たちが、「通」ぶってるかのように語っているとしたら、お恥ずかしいこと。
実際は、日本で原発事故が起こるまで、「キュリーってなんね?」というレベルでしたが、チェルノブイリの子どもたちが住んでるあそこらへんは、15~40キュリーで、あそこは5~15という数字だけは、耳で覚えていました。
ただ、それがどんな計算にもとづいてるか?など知る必要もなかったのです。すべて国が決めていましたので。
旧ソ連時代に、汚染土壌は、計測して汚染地図をつくり、放射能の核種の種類によって減衰の速度は違いますが、セシウムの60年後を想定して、このぐらい減るからここあたりには、再定住できるとか、そういう考え方です。
日本の原発事故後、ベラルーシの科学アカデミーからうけたレクチャーでは、「除染はしない、除染作業者の体調が悪くなる」という大きな理由がありましたが、汚染された面積を除染しきるより大胆にも「移住」というプログラムを創設しました。
移住政策に関しては、旧ソ連内の科学アカデミーの重鎮クラスと、IAEAが意気投合して、「移住の必要はない、ストレスで病気になる」という論陣をはっていました。
しかし、チェルノブイリ法(事故から5年後に成立)で、しっかり、土壌汚染にもとづいて、社会保障政策が決められました。
40キュリー以上
チェルノブイリ事故当時に移住になったような土地(立ち入り禁止)
15~40キュリー(居住禁止) 年間5ミリシーベルト以上
一度に住民を移住させられませんが、事故から10年たつぐらいまでのあいだに、多くの村が廃村になっていきました。
しかし、どうしても残ってしまう家族もありました。
この写真に写って男性がウラジミール先生で、北海道に保養に来た子どもの村につれていってくれました。
しかし、なんと村には、この里子の家だけが子どものいる家で、あとはみんな移住してしまい、なぜかおばあちゃんたちだけが生き残って村から移住したくないと言っていました。
里子は10人兄弟妹で、お父さんはアルコール依存症で、移住できないというのです。かくして子どもだけが増えていく。
汚染地域で子どもが生まれるというのはめずらしいこと(みな妊娠できなくなっていくので)ですが、このようなこともまれにありました。
不思議なことです。
(ただ、子どもたちが健康で生まれてこられるかどうは別の問題です。生まれてこれただけ奇跡だとして受け止めるようになっていきます)
このような家庭に救援するには、支援金はすべてお酒に代わってしまうので…ということで、たずねた里親さんがズボンのベルトを置いていったり、もっていった衣類などを置いてきたことを覚えています。二つのベットに子どもたちが丸まって寝てるのだと。
しかし、国も放置してるわけではなく、養護施設などが満杯だったり、親が子どもを置いて逃げるなど、事故初期、旧ソ連崩壊時には多くの悲劇がありました。
それでも、私は、村が崩壊しても、移住政策というのは間違ってなかったと思います。
こういう子どもたちのためにウラジミール先生が奔走していました。先生が活動してるうちは救援活動は辞められない!と思ったものです。
5~15キュリー 「移住の選択」エリア このエリアが総被ばく線量1~5mSv/年に相当すると言われています。
汚染の濃度と、チェルノブイリ原発からの距離というのは、比例せず、400km離れた土地でも、廃村になったところもあります。
この5~15キュリーというエリアは、移住の選択と言われて、自分たちで移住するかどうかを決める…精神的にはいちばん苦しいエリアではないかと思います。
子どものいる家庭は、移住していくことが多かったです。
しかし、汚染の濃度が5キュリー前後だと、やはり、悩みますよね。
ある日、このエリアの救援活動をしてるスモルニコワ先生が「やったわ!私たちのエリアが5~15から、こんど1~5キュリーに下がることになったのよ!」と喜んでおられました。
この言葉の意味は、先の汚染地図のように、セシウムの減衰が起こり、約30年経過して、ワンランク下にさがったという安堵感なのだと思います。
この言葉を聞くまで、「キュリー」という単位の意味について何も知らなかったんだなと、実感しました。
0.5~5キュリー 国による健康管理エリア いわゆる1mSv/年
このエリアは、とにかく、健康管理、健康診断を受ける義務(受けないといけないのです)、子どもたちは保養、サナトリムでの健康管理、など健康を害したら国の責任として位置づけられています。
驚くことに、日本で事故が起こるまでは、日本の保養によんでいた子どもたちが、1mSv/年前後のエリアから来ていた…と知って愕然としました。
確かに事故初期には、15~40キュリーのエリアから、小児甲状腺がんが多発したりしていました。
しかし、被害は次第にほかの区分でも発症するようになっていきましたし、低いと言われてるエリアでも、原爆ブラブラ病様の子どもたちもいました。
あとになってみて、「ああ廃村になったエリアはそういう区分だったのか、あのエリアで引っ越しの準備をしてるとはそういうことだったのか」と。
もちろん、土壌汚染と連動していますが、当時は、内部被ばく、人体汚染のようないように、というところに重点意識を置いていたように思います。
子どもにはキツイなというのが実感です。
土壌汚染と内部被ばくの割合 6:4
え?なんだよ、キュリーって土壌汚染にもとづいて、計算してそれでサクサク行くんじゃないの?ではなく、そこにちゃんと内部被ばく分を考慮するシステムになっています。
土壌汚染は、定期的に実測されて、更新されていくものです。
そして、その汚染レベルによって、内部被ばくの係数が決められていて、当然、大人と子どもは違います。
(深さ5㎝で土壌採取して 569 Bq/kg を1キュリーとします)
たとえば、5キュリー(私たちの言う1ミリシーベルト相当)は 569 Bq×5=2,845 Bq/kg ということではなく、それの6割。そして4割は内部被ばくがあると加えます。
その土地によってカタログ(ストロンチウムなども加味して科学者たちが決めたもの)があるというのですから驚きます。
そして、子どもは1ミリシーベルトの半分か三分の一が限界…と明言していました。
科学者たちのとまどい
「放射能安全ノルマに従って、専門家にリスクを負わせる場合には本人の同意を得なければいけない。
今度の場合はそのリスクを背負うのは国民である…。
これについてわれわれ(科学者)は、どんな権利を有するか…」ベラルーシ放射線生物学所長 コノプルヤ氏
出展「チェルノブイリ被曝」
日本の私たちは、これほどの国民への礼儀ある科学者の言葉を聞いたことがあっただろうか?
国民への愛…がなければ、出てこない言葉だろう。