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1.22025
愛と放射能の天秤1 対立する科学者の見解
「愛と放射能の天秤」というタイトルは、私たちがチェルノブイリの子どもたちの保養の記録を出版したときのタイトルで
す。
この言葉の意味は、実はまだよくわかりません。
ただ、思い浮かんだ言葉なのです。
かれこれ20年ぐらいたちますが、その意味も、ときどきによって変わるように感じます。
天秤にかけるのですから、愛か金か?安全か危険か?
そのように比較対象にされるものが向いてるように思うのですが。
しかし、フクシマ原発事故が起こってからこの言葉の意味は、なんだか、意味深になってきました。
「放射能(死の灰)」は「愛ではない」ということ。
つまり、このぐらいなら安全だから食べなさい…という言葉は、食べる人への愛がない、から言えることですよね。
あとでどうなろうと、知ったこっちゃない…他人へ向けて発してる。
チェルノブイリ事故の子どもたちの救援のときは、1991年に制定された「チェルノブイリ法」によって、放射能防護対策がはっきりと決められて、国が管理していました。
そのため、私たちは、チェルノブイリ法の勉強など、実際したことがありませんでした。
子どもたちの国が決めたことに従うしかなかったのです。
今ふりかえってみて、チェルノブイリ法制定までの、2つの大きな議論があったといえると思います。
(支配される側の国民から見て)
1つは、国民を移住が許可されるか、否か。
2つ目は、小児甲状腺がんは、チェルノブイリの死の灰由来か否か。
この2つは、チェルノブイリ法の背骨をなす方向性を決めたと言ってもいいかと思います。
旧ソ連は、土壌汚染をキュリーという単位を使っていました。
この汚染地図はベラルーシ共和国の汚染地図です。
ベラルーシ共和国には山がない平野の国です。黄色⇒オレンジ色⇒紫色というふうに放射能の値が濃くなっていきます。
キュリーという単位は㏃を使用しているので、現在私たちが使用してるBq/㎡という単位にも変換できます。
(それは別の日に説明させていただきますね)
チェルノブイリ原発事故が起こって、何が人々をおびえさせたかというと、子どもたちの小児甲状腺がんや白血病の発症です。日本と違って、ベラルーシやロシア、ウクライナの子どもたちは、そのような病気にかかったことがなく、医師たちも治療方法を知らなかった…といってよいでしょう。
そして、これからいったいどうなってしまうんだろう?
この図は、チェルノブイリ事故の初期にどのように小児甲状腺がんが発症したのか…という地図と重ね合わせた図です。
ひとつ前の、カラーの汚染地図とくらべてみたら、あきらかに土壌汚染濃度が濃いところの発症が多くなってることがわかると思います。
それで、1991年にチェルノブイリ法をベラルーシ・ウクライナ・ロシアと次々に制定して、移住の基準などを制定しました。(チェルノブイリ事故から5年後のことです)
しかしそのあと、IAEAのチェルノブイリ報告会が開かれ、「小児甲状腺がんの増加は、チェルノブイリの放射能のせいではない」とされました。
これは、そのときの、会議に出席された、日本人の研究者が書いていた記録です。
旧ソ連の科学者たちの被ばく線量評価は、IAEAの人たちより高いです。
つまり、旧ソ連が過大評価してるか、IAEAが過小評価してるか?
これが1991年のことです。
たった33年前のことなんです。
被ばく線量をどう見積もるか、でここまで違います。内部被ばくを小さく見積もりすぎだよ~IAEAは!
つまり、科学的に、安全、安全じゃないなんて、結論を出せるような次元にないんです。
被ばくのリスク界隈。
国民から見て、「あなたは少ししか被ばくしてない」とサバをよまれることは、ないがしろにされていることですよね。
なので、今、日本で言われてる、空間線量で言われる被ばく線量というものは、とてもじゃないけれど、信用できるものではないです。
そこに国民への健康に対する「愛」を感じません。
また、IAEAの線量評価の仕方にも、問題はありました。
農村地帯の人々に、ガラスバッチを与え、それを1日中つけて、被ばく線量を計測するというものです。
ガラスバッチという人体の被ばく線量の測定器は、閉じられた空間(イメージは病院の放射能にかかわる部署や原発の内部の作業員などの胸ポケットにつけてる)での計測にむいています。
私たちも救援物資として、放射能測定器が欲しいと言われて、探してみたことがありますが、ガラスバッチのメーカーさんに、おたずねしたところ、野外などでは不向きと言われました。
さて、そのようなガラスバッチは当然、放置されたり、全方向からの放射線を受け取れないので、不正確きわまりないもので、「いやあ、旧ソ連の科学者たちが言うほど、人びとは被ばくしてない」といいたかったのだなとわかりますよね。
(ガラスバッチは批判されていたのに、同じことをフクシマ原発事故のあと、伊達市でも行われて、論文不正を見破られました)。
かたや土壌線量、それから放射能汚染食品や水などによる内部被ばく、そうしたBqから導きだされた被ばく線量評価をソ連の科学者たちは、決めたわけです。
3年間かけて、実測した汚染地図と、子どもたちの病気の発症の割合がリンクしてるし、急がないとどんどん子どもたちが病気になっていく、という「責任感」もありました。
のちに、このチェルノブイリ法をつくった科学者の方が言っておられましたが、IAEAが、「チェルノブイリの放射能と小児甲状腺がんの因果関係を否定する」結果というのは、すでにわかっていたので、先にチェルノブイリ法をつくったとも言っていました。
先にIAEAが、放射能のせいではない、と発表してしまえば、チェルノブイリ法が通りにくくなりますよね。彼らは国民を救いたいという思いで動いていました。
ソ連の科学者たちのなかでも、移住などさせなくていい派と、とんでもない移住させるためにチェルノブイリ法が必要派にわかれていました。
当然、移住などさせなくていい派は国境を越えてIAEAと仲良く意気投合。
はあ、移住などさせなくていい派は、ソ連の核開発をになってきたようなエライさんたちです。そこと西側の核を管理するIAEAが仲良くできるなら、冷戦など必要なかったのでは?
人は、何かを愛さずにはおられません。
愛と放射能の天秤とは、ひよっとすると、一人ひとりの心の中にあるものかも。
もしも、国民がこの放射線にさらされて、病気になってしまったら、どうしよう?
そういう心配をしてもらえたことはありますか?それが、愛。
大丈夫だ…といういい逃げはずいぶん聞き飽きたなあ。
そのときの丁々発止のやりとりは、まだ続きます。
ソビエト連邦
若い方はご存じないので、ご紹介をリンクしておきます。
(略称で、ソ連、あるいは旧ソ連と言うことが多いです)
昔は共和国がいくつも連合していました。
同じ構成国であった、ウクライナとロシアが紛争してることは、かなり大きな不自然さがあります。
東京と沖縄が、あるいは東京と北海道が、それぞれ独立したとしても戦争する必要ないですし、力の差が大きすぎます。