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絵で読む広島の原爆…本のご紹介

今日は長崎へ原爆が投下された日ですね。
原爆の被害の問題は、調査した人たちの問題でもあります。
その人たちは、どのような人間性を持っていたのか…ということを吟味してからでなければ、専門家(自認)の話など聞いてはいけません。
書き始めると皮肉や不満でいっぱいになってしまうけれど。
今晩は、ちょっとその勢いをとめて。
昭和20年8月9日の夜、長崎に原爆が陶されたその晩。
あたりいったいは大火事で、たくさんの母子が生き別れたといいます。
お母さんや大人が犠牲になってしまえば、小さな子供は一人ぼっち。
やけどをしていたり、大人たちがみんなお化けのようにやけただれていたり、髪もちじれてさかだっていて、怖い思いをしながら、お母さんと泣いてさまよってる子。
がんばって生き抜くんだ!と声をかけてあげたい気持ちです。
私たちは彼女彼らの未来に住んでいて、これからどんな苦しみを体験していくかも知っています。
でも、その日は、みんなとにかく、生き残ったらなんとかなると、考えていたと思います。
被ばくの怖さをまだ広島の人も長崎の人も本当の意味でわかっていなかったその晩。
多くの体験記を読めば、夜はたいていは木の根元に腰掛けたり、そのまま寝転がったり。
秋月先生のいる医院へたどり着いた人は、幸運でおにぎりをもらったかもしれません。
そんな夜に、もしも今からそこへ行けたら、いったい何をしてあげられるんだろう?
広島や長崎の被爆の体験談をつづった本もたくさん出版されました。
原爆の後遺障害についてこんなにしっかり詳しく説明されていた絵本があったので、2ページほどをご紹介したいと思います。
昔はこうしたレベルの高い本を出版する力が日本にもあったんですね。
(1995年発行)
まだ、まだ後遺症があらわれてきてる最中。
いまだに、黒い雨裁判で苦しんできた人たちがいます。
日本のよくないところは、「あなたは被爆者、あなたは違う」と、眉毛の毛一本ほどの違いをつついて、被爆者認定をしてあげない、その人は医療費などの自己負担で苦しむんですね。
ひどい時は、「原爆で被ばくしたとき、歩いてるときにあった二人の人を証人として必要です」というものです。
さあ、小さな子どもがお母さんとはぐれて、誰かにあっても名前も顔も知らないし、みんなすすけた顔してるのにさ。あるいは顔に大やけどしてたり。
そういう無理難題、意地悪を、被ばくした人に言うなんてね。

未来の日本人たちが、昭和20年の広島や長崎に助けに行けたらどんなにいいだろう。
もちろん、やけどの薬や包帯とか、医薬品をいっぱいもって、
ビタミンとかミネラルとか栄養のあるものも抱えて。
死んでたまるか、生き残ってやる!
何度被ばくさせられても!
たとえ
偉い人たちが忘れてしまっても、キノコ雲をピンクにして茶化されても
私たち国民が、ヒロシマナガサキの原爆投下の日に、同期し続けたい。

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