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10.52020
α線からヘリウムガス…プルトニウム被曝事故
内部被ばくを考える市民研究会
ホームページ「プルトニウム被ばく事故 日本、茨城県大洗町、日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター 2017年6月6日」
より、転載させていただきました。
【この粉末は、敷地内にある高速実験炉「常陽」(1977年に初臨界)で実験する燃料の試料を作った際に出たくずで、約300グラムあった。粉末はまずポリエチレン製の容器に入れられ、二重のビニール袋で密閉したうえで、金属製容器に入れて91年から26年間保管していた。開封した記録は確認できないという。
今回の点検は、原子力機構の別の施設で原子力規制委員会から核燃料物質の不適切な管理を指摘されたのを受けて、実施していた。同機構は今回と同様にウランとプルトニウムを含む粉末を保管した金属製容器計21個を点検する計画で、事故が起きたのは最初の1個の点検中だった。
なぜビニール袋が破裂したのか。出光一哉・九州大教授(核燃料工学)は「ウランやプルトニウムなどは時間がたつと原子核が崩壊し、ヘリウムの原子核(アルファ線)が飛び出す。長期間保管してヘリウムガスがたまり、容器の内圧が高まって破裂した可能性はある」と指摘する。
原子力機構の関係者もこの可能性を認め「破損の可能性があるポリエチレン製容器を長期保管で使うのはよくなかったかもしれない」と明かした。】
内部被ばくを考える市民研究会のホームページにはこの事故のときの内部被ばくについて詳しく述べられています。
しかし、ここでは、燃料の粉末から、ヘリウムガスが出て爆発した…ということについてちょっと、考えてみていただきたいと思います。
ガラス固化体をつくる技術も確立してない、いやいや、もう少しでできる?
千歩ゆずって
できたとしても、さらには数十年は地上で異変がおきないか、観察すべきではないか?
想定外のことが起こっても、地下に処分してしまえばどうすることもできないわけです。
考えただけで恐ろしい…。
事故を恐れて、ちょっと地下処分は待ったほうが…という意見に耳を傾けてほしいのです。
プロの人達だって、想定外の被ばくをしてしまったのですから。
原子力を扱う人たちは、事故が起こること前提でものごとを考えることを許されるべきだと思います。
以前は、事故…なんて縁起の悪いことを言うな、国民が不安がるだろう…として、ほんとうの問題、できてないところについて議論が及ばなかったと思います。
くしくも、9月30日はJCOの事故があった日。
あの事故で犠牲になられた方にとって、その犠牲が、なんの意味があったのだろう?と私は思います。
かけがえのない命が、苦しみながらのたうち回るように病院のベットの上で終わりを迎えるしかなかった。
再生することができなくなった細胞たち。
国や原子力産業がその犠牲にどのような意義を見つけたとしても、犠牲は犠牲。その魂が癒やされることはないと思います。
もちろん、大洗の事故とガラス固化体と成分が違う、と言うかもしれません。
しかし…こんな事故をあなたたちは想定できたのですか?
と問いたいのです。
すべての事故は、現在の科学の考えの及ばないところで起こってるのではないでしょうか?
事故の責任が誰にあるのかわからない複雑なシステムの中で、勝手なことを言っても、罪悪感さえ持たなくて済むのでは?
責任を取らない人が安全を保証する、この国のおかしさ…。
つまり、人智を超えた科学に手を出してる自覚がない人たちが、責任を分散させてる、今ここ。
ここに、急いで北海道の市町村が加わる必要はないです。
子どもたちが保養に使うために、きれいな大地として残したいので。
コメント
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コメント (1)
そうか。核廃棄物のガラス固化、成功するわけがないことはっきりわかりました。
だってα線がでるってことは、ヘリウムガスがガラス内部でぷくぷく出るという事になる。
放射線と言いつのっているから、エネルギーとしか認知していなかった。
α戦の物質としての性質を、見落としていた。
美香さん、良い記事をありがとう。