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10.52020
原発処分…広瀬隆
NUMOの説明だけを聞いてると、ドイツでもどこでもヨーロッパの高レベル放射性廃棄物処理が、うまくいってるかのように聞こえますが、具体的な説明は皆無です。(地元に回ってきた説明会に参加しました)
そこで、言えるのは、NUMOの説明は、説明…であって、国民はそれを一方的に受け入れるべきであり、処分地を探さなければいけない…という命題を与えられることになります。
科学的に適地は、日本の海岸線であると。
海岸線の地下は、安定した地層なので。
え?そうなの?
たとえば、東日本大震災で、45cmも地盤沈下したなど、実際にその海岸をみてしまえば、海岸線の地層は安定?ちょっとそういう認識が怖くなりますよね。
幌延の地下300メートルのトンネルの映像も3Dで見ることができるようなハイテクが用意されていて、NUMOって科学者集団なんだな…と思います。
けれど、「ところでガラス固化体っていつ完成するんですか?その技術は」と質問しました。
「えっっと、202○年にはできます、認可を受ける段階です!」
って、その答えだけで、世間の常識でいえば【店じまい】してくださいよ、のレベルです。
君たち約50年以上やってもできなかったでしょう?
広瀬隆さんの著作の中から、抜粋させていただきました。
今、日本の国の原子力政策は曲がり角に来ています。
Uターンしなければいけないところだと思います。
日本では政策の決定に、特に健康や命、財産に大きく影響をあたえる原子力政策について、住民と議論を続ける…という文化はありません。(もちろん異論を唱え続けてる地域もあります)
50年たっても、トップダウン方式です。
小さな自治体の有力者と議会で決めてしまえば、わずか10人ほどの決断で、原子力施設の誘致が決められてしまうような、住民にとってのDV体質そのものが、原子力産業のいかがわしい雰囲気をいざなってきてるように思います。高度経済成長期は、立ち退き屋など乱暴なやり口で住民を立ち退かせたり、あるいは公害問題があっても知らんぷりなど、昭和であっても、明治時代のように人びとの人権がないがしろにされていました。
しかし、社会は少しずつでも進化して、国民の人権を大切にする、尊重する…という憲法を守ろう、という方向には流れてきてるのです。
確かに東日本大震災で起こった東京電力福島第一原発の事故対応は、人権は尊重されるよりふみにじられてきたことが多いと思います。つまり、退化しました。
それを取り戻すための裁判も行われています。
広瀬隆さんの著作に書かれてるように、ガラス固化体…そのものが、危険性が高い…という考えも指摘されつづけてきました。しかし高度経済成長にのってた日本の経済界は、そんな耳障りなこと聞きたくない、いずれ科学技術が発達して解決できる…とどこか甘く考えていたんだと思います。
しかし、人類が消すことのできない灯はやっぱり消せないままでした。
★ガラス固化体そのものの問題
★さらにそれが経年変化を経て本当に安全でありつづけるのか(漏れ出さないのか)
★日本は地下水が豊富な地盤であるから、地層処分などできるのか
★それについて情報公開されてみんなで議論ができてるのか?
これらのことを考えると
「年貢の納め時」だと私は思います。
先代が、実現不可能な政策をつくったのなら、一度たちどまって検討し直したらいいのです。
たとえば、NUMO曰く、「地層処分は決まってるんです(そこは考えなくていいから)」
WHY?
「国が決めたから、埋めるって」
それはね、とうてい民主主義とはいえないんですね。
そして…この状態で原発を稼働させてるのは、国民への裏切りです。
実情を国民にすべて公開すべきです。
★広瀬さんの著作では、福島第一原発の地下水と、海水の連動性が指摘されています。
この地下水問題について、東京電力は、どうして説明してくれないのでしょうか?
もうこういう秘密主義は卒業しませんか?
原子力産業の株価が下がる?
でも…考えたんですよね。
原子力産業の株主は儲けはもらうけれど、事故で国民に損失与えたときは、知らん顔って。
ドイツの地下処分?もちろん、丸く収まってるわけがありません。
日本は、ガラス固化体を地層処分にして地下水に触れたらどうするんだ?の議論ができません。
ガラス固化体をつくれてないのですから。
この不毛な話を国民にしたくない気持ち、わかりますが、国民から給料もらって働いてる人たちは、国民に誠実であるべきです。株主さんたちに対して…ではなく。
国会ではよく、都合の悪い書類が、真っ黒の黒塗りで提出されたりしますが
若い人たちの未来を黒く塗りつぶすことだけはもうやめよう!と訴えたいのです。