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「コロナ医者」の心

長い長い自粛の生活…。北海道はもう2月からはじまっていて、泣き出しそうな飲食店さん、少しでもがんばっての気持ちでテイクアウトを頼んでみても、焼け石に水ですよね~。

けれど、こればかりは新型コロナ次第。

先日、コロナ医者さんの像がやってきてくれましたました。

保養の子どもたちがいたらどんなに目をキラキラさせたかな?

コロナ医者ってなあに?

それは「ペスト医者」

にさかのぼります。

中世、ペスト菌による疫病が蔓延したとき、当時の医療ではほとんどの人が助からず、ただ、死を待つだけでした。そんなときに、この鳥人間のような仮面をかぶって全身黒いマントをきて黒い手袋、そして帽子、の「医者」が疫病の街へ入っていき、死にそうな人たちに治療を施したというのです。

治療と言っても当時は、薬も無く、瀉血(血を抜く)と、遺言の聞き取り(いわゆる看取り)ですね。

それをしてあげる。寄り添う…というのはそういうことだと思いますが、当時、感染したら死ぬといわれてる病気が蔓延してる街へ入ってく気持ちはどんなでしょうか?(イタリアでは12万人の人口のうち10万人が亡くなったと言われてる街もあったそうです)

また、このペスト医者というのは、貧富の差もなくわけへだてなく、治療にあたったと。

感染すると誰も近寄れない病気でしたが、この医者だけがそばによって、死にゆく人の話を聞いてくれる。

しかし、奇妙な風俗であっても、ペスト医者の防護服はとてもよく考えられています。

革でできたマントや手袋、帽子、それらには蝋がぬられている。つまり布だと菌がしみこんでしまいますが、「菌」が発見されていない時代に、よくここまで考えたかなと感心します。

また、鼻が鳥のくちばしのように長いのはそこにハーブなどの薬草(ニオイのキツイものもあったそうです)が詰めこむため。(疫病の街の腐敗臭がひどいという説も)そして目のところにはガラスがはめ込んであったそうです。これなどは現代のアイゴーグルに通ずる物ですね。

そういうわけで、菌の対策としては意外によくできてるように思います。また杖は身体に直に触らないため…という。

現代の私たちが見たら、それは奇抜で死に神のように恐ろしい感じがすると思いますが、死を苦しみの中で迎えようとしてる人には、もちろん医者だとわかっていますから、最後の慈悲心に遭遇することができたと思います。

新型コロナ医者は、少しかわいい顔をして、それでも必死に人々を守りたい…そんな想いが物質化されたように思います。

今、日本のコロナ対策はいろいろ言われていますが、何が問題かというと。

「国民を助けたい」という気持ちが伝わってこないことです。

みんながいろんなうんちくをいいます。PCR検査をすると、医療崩壊が起きるから…。

はあ~っああああ、て思うんですよね。こういう素晴らしい経歴、堂々とした発言力のテレビ人からは、そっと離れなさい…とおばさんはアドバイスしますね。

つまり…あなたの夫や子ども、あるいは知人友人が熱を出してうんうんうなってるときに、「コロナかな?熱が出てたら普通の病院でも来ないでくださいっていわれてるし。急に体調が変化したらどうしよう?」と不安になりますよね。案の定、救急車にのってたらい回しです。

こういうことが、かわいそうだ、助けたい!という思いが共有できず、「あるべき姿をとうとうと説教する人」というのは、どこか生き方考え方がまちがってるんです。議論することじゃないんです。

たとえば、小学生だったらおなかがいたくなってウンウンうなってたら、盲腸かな?食中毒かな?どうだろう?どうしよう?けれど昔はお医者さんも高額でかかれないとか、近くにいないとかそういうときは、おばあちゃんやお母さんがお百度まいりしたり、地蔵さんに祈ったり祈るしかなかった。けれど、現代は、国民皆保険で、病院いいってお医者さんが診てくれたら、盲腸だからとか、食あたりだとか、診察してくれるわけですよね。

それが医療の当たり前の姿ですよ。

けれど、新型コロナ…という新しい疫病の検査方式があるのに、「あんたの子どもはそれうけなくていいから、寝ときな」って言われるわけですよ。それって現代医学としての存在を自分たちで否定してるんですよ。

これって医師が悪いと言うより、新しい疫病に対する日本という国の方針が、頭でっかちでしかも根性がねじまがってるから、としか言いようがないのです。

なぜならお隣の韓国では、PCR検査をバンバンして、軽症のうちに隔離して、感染者を増やさないように努力してきたわけです。自宅で療養してる人にはどっさり食糧が政府から送られてきます。

これって国民に対する愛情まで感じるじゃないですか?

ところが日本では、検査の前に関所があって、その関所を通ることが難しい。

どうしてあの人検査受けられたの?って人もいるわけですよ。みんながこんなに苦労してるのに。

こういう疫病のときにわけへだて三昧で、本当に「日本の心」ってなんだろうな…って思います。

日本に来た外国人にヘラヘラもみてして、愛想笑いしておきながら、裏で外国人労働者には、厳しく接するような二面性?

日本が医療崩壊起こしたのは政治のせいです。

検査をちゃんとしていれば、病院内の感染を防ぐ手立てがあったのに。それをしなかった。防護しない…ってどういう精神性?

頭が悪いか、感染拡大したことをちっとも悪いと思ってない責任者がいるということです。

あげくのはてに、ゴミ袋を医療関係者や福祉関係者に着せたらかわいそうでしょう?

心をこめてゴミ袋をつくって医療関係者に寄付する?

それはね確かに明日あさって、必要かもしれないが、本当に心があるのなら、地元の政治家に電話入れて、あなたがさぼってるせいで、医療者が困ってると叱ることが本当の医療者のために尽くすことです。

今の日本は、何が悪いことがわからない人がとっても増えています。

検査しない…というのは2011年2012年、多くの子どもたちが甲状腺や血液検査を拒否されたことを思い起こさせ、まだまだ私たちは、トンネルの中にいるのだと気づかされます。

検査をする、しない、という生殺与奪の権利を、意志でもない誰かが持ってる…ということは、恐ろしいことです。

現代のコロナ医者は、おしゃれなマントにかわいらしい顔で、聴診器を持っています。

彼が治療するのは何?

今、かわいそうな人を診てあげよう!そういう心を取り戻すために、かけはしにやってきてくれたのかな…って思います。その気持ちが愛なんですね。

愛がなければ、なんの政策もつくれないわけです。

なのにみんながピーチクパーチク、こうしたほうがいいああしたほうがいいと、論じていますが。

検査したら医療崩壊する…という人から逃げよう!といいました。投票などもっての他です。

お笑い芸人が、新型のコロナの不況のせいで、夜の商売にかわいい女の子がいっぱいやってくるからもう少しのしんぼうだ…って言ったそうですが、そういう人の不幸を楽しむ人からは逃げるべきなんです。

検査して、感染した人のためにはではどういう対策が必要か?こういう対策が安心だね、と考えられる人に近づいていってほしいと思います。

人を助けよう!と思ってる側に。

SNSでアマビエが人気です。

「疫病がはやったら私の姿を書いた物を見せなさい。収まります」

それが迷信でもなんでもいいんです。

助けたい…という心が伝わる…まずそこが大切です。

さて、蛇足です。

『泥棒の酢』

ペストで散々な街に、泥棒が入って荒らしまくる。

その泥棒たちがなぜ、感染しないのか?とうとうつかまった泥棒たちは死罪とひきかえに、秘伝の薬のレシピを話しました。彼らは酢にさまざまなハーブを浸して身体にぬりたくっていたそうです。

これは、ペスト医者のくちばしの部分にハーブを突っ込んでいたという話に少し共通してくる話だと思いませんか?

消毒薬で皮膚が荒れてるような人は、酢にハーブをたくさんいれて、縫ってみてもいいかもしれませんね。

エビデンス?

酢と塩で殺菌できるという研究などもありますが。

生き残った人たちが語り継いだ話のほうにエビデンスを感じたら、いけないことでしょうか?

トランプ大統領は「おれはマラリアの治療薬を飲んでる」と広言し、「それエビデンスないから」と科学者たちは火消しに回ってるようです。

本当に今、科学が、経済などにゆがめられないかどうか検証するところから…ではないでしょうか?

科学という看板そのものが、国民の命を取捨選択してるように思えます。日本では。

もちろん医者で無くても、日本人がコロナ医者の気持ちを持って、まずみんなで助かろう!それにはどうしたらいいか?社会を治療してほしい。

イタリアの仮装行列のコロナ医者たち。

今年は途中で中止になった。

イタリアも徐々に都市封鎖が解除されていく。

人類は少しずつ新型コロナとの付き合い方を覚えて乗り越えていくと思いますが、生き方考え方を変える必要が迫ってるようにも思います。

だるま森さんの映像です

https://www.facebook.com/watch/?v=672089613365254

 

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