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2.222025
被ばくの実相13 毒ガス2
被ばくの実相で、たびたび名前を引用させていただいてる都築正男氏ですが、誰もこの人にはさからえない(笑)という別のヒロシマの原爆の本に書いていたので苦笑しました。医学会は絶対に彼にさからえないでしょうね。
広島の原爆資料館には都築資料の蓄積もありますから。
それほどの被ばくの大家です。
彼の講演録で、アメリカに伏字をされた部分は、毒ガスについての言及でした。
まるでそれをまかれたみたいと。
しかし、広島県の離島に毒ガス工場があった。その被害は、まるで原爆症の症状にそっくりだという。
さて、都築正男さんが、昭和17年のどこかで講義された記録のような本をみつけたので、彼が毒ガスをどう理解していたのかご紹介したいと思います。
昭和17年3月の発刊。
昭和16年12月に日本はアメリカと戦争状態に入りましたので、これは、攻撃を受けたときに、どのように救護をしたらいいかという関係者への講義のようです。
大久野島でつくられていたイペリット。
これを防護する、あるいは兵器としてみてる側の話で、立場が違えばこれほど見方が違うものかと驚きます。
以下、概略をまとめました。旧字が多く、文章もわかりにくいので、箇条書きにさせていただきました。
(注:昭和17年というと1942年の記述です。当時より毒ガスも進化していますし、治療方法も進化してるとは思います。あくまで昭和17年時点の日本の海軍所属の東京帝国大学の医学博士の見解)
*イペリット 糜爛(びらん)剤というものについて
・第一次世界大戦で使用された
・アメリカにはイペリット→ルイサイトという薬がつくられた
・イペリット
1)皮膚あるいは粘膜、わえわれの身体の表面をおおってるところに、強い局所性の毒を作り出す。
2)このガスをあびると患部が真っ赤になる。(朝から晩まで海水浴で日焼けしたような)軽いやけどのように見える
3)目が充血する
4)もう少し強く身体に触れると、水疱ができ、その水疱がやぶれてぺろぺろの糜爛(びらん)面を作る
5)赤いときでも、水疱ができたときでも、ぺろぺろの糜爛麺を生じたときでも非常に痛い
6)熱いお湯や味噌汁をかぶった火傷などにくらべて非常に治り難く、何ヶ月もかかる
7)一人に2~3人が治療に必要になるので、兵力をそぐ薬剤である。
8)非常に強い咽頭または気管支の変化を起こす→肺炎→死という経過もありうる。
9)第一次世界大戦でドイツがイギリス軍に使用し、16万人の兵士の背中がペロペロになった。生きてるのでその世話でさらに何十万の兵力を奪われた。16万人のうちなくなったおのが4千人で。2.6%の死亡率。ただ人を苦しめて喜んでいる。
10)身体についてから、四時間、数字関してから色が赤くなってくる。ついたときは痛くもかゆくもない。赤くなってからでは間に合わない。局所の毒なので、洗い落とす、ふきとるということによって相当の予防ができる。もし、少し時間が遅れて完全には洗い落とし得ない、完全には拭き取り得ないとしても、それを洗う拭くということによって、いくらかでも薬の分量を軽くすることができる。
10)皮膚が赤くなり、水疱ができ、またそれが敗れてペロペロになったという場合は結局
結局、火傷の治療と同じことをする。
このような兵器工場で犠牲者が出て、なかなか治らないものが温泉にいって治ったという話がちょいちょいある。
11)土壌に長く残るので、持久性の毒剤。
漂白粉で消毒ができるということは、防空訓練において行われてる。
*ルイサイト
1)大体の作用はイペリットに似てる
2)局所毒として皮膚炎を起こす他に、その皮膚から身体の中に吸収されて、非常な毒作用を起こす。数滴が死に値する
3)1.2g、液体で0.6㎤が皮膚についてすべて吸収(数分で吸収される)されたら、その人は死ぬ。苦しんで24~48時間の間に死んでしまう。遅くとも4日以内に死ぬ。
4)計算上で、この薬剤を1トン持っていけば100万人の人間を殺すことができる。(実際には一人に0.6㎤つけて回ることができないが)
5)防御法としては、つくかつかないかの間に、消毒剤、苛性ソーダ液のようなもので消毒する。吸収されおわったらどうすることもできない。しかし、液がついた場所を切り取ってしまえば命が助かる…動物実験の結果もある。
6)防毒衣(詳しい記述なし)でドイツ軍の攻撃を防いだ
*刺激剤
1)気体でもない液体でもない固体の小さな粒でとんでくる。ろ過式、あるいは吸着式
2)ちょうど白い煙のようになる
3)ガスマスクを通過して、刺激があるので、ガスマスクを外してしまう、そこに窒息剤をまく
4)酸素ガスをそなえてるガスマスクが必要。やられた場合は、重曹水できれば生暖かいものでうがいして、目をあらう。
5)重症の場合は肺炎になり、肺炎の治療が必要になる
*爆風
(爆弾はおもったほど殺傷能力は低い…という記述のあとに)
1)爆発の損傷は怖いらしい
2)けがをしてないのに死んでる。急激な圧力の変化が起こった場合、耐え得ないで、我々の生命がたたれる。
3)100キロの爆弾が落ちると20メートル内外のものが爆風のために死ぬといわれてる。家の中にいてもそのまま死んでしまうものらしい。
4)爆風で飛ばされてけがしたのと違って、ただ、外見に怪我をしていなくても爆風で死ぬ。措置の方法がない。
5)爆風で家がたおれて挟まったりしていたら、そこから助け出されても、あとで死んだりすることもある
6)つぶれたところからタンパク質が分解して毒が出てきて患者が悪くなる
(やけども黒く焼けたところは面積が小さくても同じように毒素が出てきて死ぬ)
7)爆創は普通の傷とちがって外からいろいろ汚いものが中に持ち込まれるから、傷が膿むことが多く、傷ができるときに組織がひどく壊してつぶす。非常に化膿しやすく治りが悪い。見た目は軽症に見えてもできれば、軽いけが人と思わず、設備のある病院で本格的な治療をしたほうがいい。
以上、まずは、原爆の攻撃を受けた直後、白いモヤがたちこめていて、匂いがしていて…、皮膚がぺろぺろめくれていて、そんなふうな症状を観たら、当時の人の頭の中にも、まして都築正男氏も、毒ガスの被害に酷似してると脳裏に浮かんだことは自然です。アメリカ軍は、イペリットよりも恐ろしいルイサイトまでつくってるのです。
そういうものをまいたのではないかと言われて、伏字にする必要あったのかなぁ。
わかりません。
なお、イペリットで水疱状になった写真は、ほかのどこかにも載ってると思います。あまりにかわいそうでそれは、こちらには転載できませんでした。
ちょっとしたやけどの水ぶくれなどと比べ物にならない水泡です。これは相当痛い…。
私は、2011年に汚染のある地域に行って、咳がとまらなくなり、その年は、お話会で日本各地を回るときに、カバンの中に吸入器を入れて移動していました。
昼はなんとかお話できても夜中になると咳が猛烈に出て、苦しくて眠れないのです。ホテルについて自分なりにいいと思っていた抗酸化物質を入れて、吸入器をセットしておいて、夜中に発作が起こるたびになんども吸入器でのどや気管をうるおわせるということをしていました。
もちろんそれが何かの効果があるとわかっていたわけじゃないです。そうしないと眠れないから。当時はそういう症状を持つ人も多かったのではないでしょうか?
さて、私は医学関係者でもないので、うわっつらの症状だけをみて、似てるな…と言ってるだけです。
毒ガスの後遺症も被ばくの後遺症も似てる、同じ部位をやられてる。
というか、身体の内部に入った場合は、その毒がどんな作用をしてるかわからないんですよね。
まだまだ。
で、被ばくの実相を追い求め、なるほどなるほど、被ばくというのは、爆風の被害でも亡くなってもおかしくないのだ、あるいは毒ガスの島から来た人が原爆の被害にあったら、二重の被害になるんだなとか、いろいろな被害のありかたが想像できました。
〇〇だから、被ばくじゃないと言い切れるものなどないのだと思います。
以下、蛇足ですが、この本の中に気になる記述があったので、被ばくとは別にちょっとご紹介したいと思います。
*塩素ガス(窒息剤)
1)細胞に毒剤が作用すると水が出てくる。その水は身体の血液の中にある水分。肺の中に血液の中の水分様のものが出てきて、空気の代わりに水がいっぱい詰まってしまう。
2)その結果、肺で酸素や炭酸ガスの出し入れができなくなってしまう。身体の中に酸素が入らないし、体内の炭酸ガスは外へ出ない。⇒息の根が止まる
3)肺の中につまってる水分をなんとかなくして、新しい空気を入れないと助からない。
4)呼吸困難になる、チアノーゼか青白い顔色か。青白いほうは助からない。チアノーゼは心臓がまだ強いからがんばってる。重症だけど助かるかもしれない。
5)潜伏型。窒息剤にやられても、なんともないように見える人もいる。そういう人が走ったり、筋肉労働したり、ご飯をおなか一杯食べたりるすると、何でもなかった人が突然、顔が紫色になる。
6)身体の中の酸素ガスが非常に欠乏している。はるかに残った酸素ガスでかろうじて命を保ってる状況。⇒なので酸素が必要な状況におくのは禁物。歩かせるなどもっともいけない。なるべく静かに寝かせておく。寒い時期は身体の酸素が消耗するので、冷えを防ぐために湯たんぽ、毛布などで「保温」し、「安静」を保つ。
7)人口呼吸法をやって無理に身体を動かすと、わずかに残ってる酸素ガスで命を保ってる人を死に至らしめることもある。
8)酸素を肺に送り込んで血液の中の酸素の分量をふやしてやりたい。
9)強心剤の注射をうって、心臓を持たせる。
10)肺の中に水分が出て血が濃くなってるので、瀉血(輸血の反対、悪い血を外へだす)し、同時に血液の中の水が不足するので、血液の中に水を入れてやる。生理的食塩水やリンゲル液いうものをよく消毒して血管の中に入れていいような状態にして入れてやる。
11)これをやって24時間で死ななかったものはたいがい助かる。なので24時間の処置がとても大切。
12)ガスマスクがないときは、8割の兵士が死んだ(第一次世界大戦のとき)
この冊子を以前に読んだときは、冊子全体が怖くて気持ち悪かったのです。
しかし、今、改めて読んでみると、この窒息剤の項を読んだとき、あれ、これって、コロナが最初に騒がれたときに言ってた症状と似てるよね?って驚きました。
確か、肺の中に水がたまる、って言ってましたよね。
気が付いたらいつのまにか、そんな話は忘れて、なんだかスッキリしない風邪みたいな着地点にいるような気がします。でも最初は確かに言ってた。
もちろん、コロナと窒息剤のメカニズムが同じかどうかなんて私にはわかりません。
これをよむと、都築氏が、原爆で弱った人を、動かしてはいけない、とか、やたらめったら、身体に薬を入れたりしないで、安静が大事とか、力しごとをさせないでと言ってたことが、彼の医学の知識の中から出てきた、最大限弱った人の救護法だったのかな、と思います。
人間、つらいときは、横になって、休んでおればいい。
本当に元気になったら寝ておれなくて動き回ってしまうものです。
チェルノブイリの子の保養を観ててそう思います。
栄養と休養、ストレスからの解放、それがあるかないかで、予後が全然違ってきたと思います。
温泉療法もとてもいいですね。
ここまで書いたものなどご紹介していても、都築さんがどんなかたなのか?全然、わかりません。
学者さんの書いた文章というのは余計なことは書いてないわけですから仕方ないとしても。
しかし、後世からみて、大きく彼の人生を決定づけたのは、ほんとうは、第五福竜丸の被ばく…だったのか…とも思います。
日本がこれほどまでに、放射能づけになる運命はいったいどこから始まったんだろう?
専門家集団が、何を公表して、何を隠していくか…。
すべてが明らかにされることは絶対にない。
兵器の性能の話になっていく。
私たち一般人には、適当な話ばかり。
死亡率を高める窒息剤を防御するために、ガスマスクが開発されて、それじゃ、ってんで、イべリットという染み込み型の毒ガスが開発されて、それじゃってんで防護衣が開発されて、それじゃってんで、刺激剤でガスマスクをはずさせる毒ガスができて…。
それをつくる工場で働いていた人たちが身体を害して苦しんで。
そしてそれを中国で散布してた。
近隣の国と仲良くすれば、このような兵器はいらなくなるし、工場なんていらないし、使用済み核燃料きりきざんで汚染をさらに複雑にして苦しむ人々を増やしてる。
いったい誰がそんなことを考えついてるんでしょう?
治らない病気になってまで、そんな毒を作り続ける必要あるのかな?
そして、それが国民の願いでしょうか?
この頃は、武器さえあれば戦争できるかのような言説が、国会議員から聞かれますが、ヒロシマナガサキの被ばくの被害調査に1000人規模の専門家が入ったというのです。
当時の日本でそれだけの医学・科学関係の専門家が、外地(日本はアジアなどに兵隊を送っていたので)から帰ってきたのです。
今の日本で、それだけの専門家がいるでしょうか?
それ考えただけでも、戦争なんて無理だとわかると思います。