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2.212025
被ばくの実相 12 毒ガス1
原爆投下時に、アメリカ軍が上陸して毒ガスを散布することなんてできるわけもないと思います。
けれど、都築正男氏が、原稿を「×××××××××××××××…」たところが、なんで?と気になります。
読めないと余計知りたいですよね。
アメリカにとって、なぜ伏せたいのか…。
というわけで、いろいろ毒ガスで検索してみると、広島県の大久野島という離島に毒ガス工場があったことがわかりました。
原爆投下時に、白いガスがたちこめ毒ガスをまかれた…と当時の人が思うほど、それは広島に身近にあったんですね。
もちろん、学徒動員などでその工場で働いた人は口外ならぬという掟。
「隠されてきた『ヒロシマ』~毒ガス島からの告発」 辰巳知司著(日本評論社)
このような詳しいルポルタージュはとても貴重です。
驚きますよね~毒ガスマスクして、地下足袋はいてます。絶対に、大日本帝国陸軍でしょう。(表紙の写真についての説明がみつけられませんでした)
靴じゃないのか…。イペリットこぼしたらしみるでしょう?
P116
「〇船さんは、一九三七(昭二)年一〇月、二四歳で毒ガス工場に入り、「きい一号」(イベリット)のA4工室で勤務した。この年、目の充血のほか、右腕、左足、頭にイベリットによる水泡ができ、島内の医務室で治療を受けた。一九四○(昭一五)年、中国へ出兵し、行軍中、せきに苦しんだという。戦後は家業の農業に従事したが、風邪を引きやすくなっていた。一九八二年に最初の入院、 以降、入退院を繰り返し、最後は一八回目の入院だった。
行武正刀 忠海病院院長は夜船さんについて、「慢性気管支炎で最も激しい症状に苦しんだ患者の一人だった」と話す。行武院長によると、慢性気管支炎は、長期の毒ガス吸引で気管支の繊毛が侵されたことにより、夜などを外に押し出す気管支の自浄作用が低下することで起きる。機能しなくなった機毛は二度と回復しないため、不治の病となり、これが毒ガス後遺症の特徴となっている。撮毛を新たに痛める最大の原因はせきで、せきによって繊毛が弱り、さらにせきが出る、といった悪循環が生じやすい。効果的な治療は風邪の予防が中心となり、根治治療は不可能なのが現状だという。
忠海病院二階の病歴室には、同病院に入通院した四二〇〇人の病歴ファイルが天井近くまである資料棚にびっしりと並ぶ。
行武院長は「当時、大久野島全体が毒ガスの煙に覆われていたようだ。戦後、高度経済成長に伴い、各地で公害問題が起きたが、大久野島には、50年も早く、典型的な大気汚染があった」と語り、毒ガスの後遺症が各工場の中だけでなく島全体に広がっていた実態を指摘する。
さらに、行武院長は「毒ガスの影響は核兵器とそっくりで、しかも、核兵器より格段に安く生産できる。大久野島で抗毒した患者たちは、人類に対する警鐘なのです」と、世界で唯一、毒ガス後遺症の患者が集中する医療現場から警告している。」
核同様の染色体毒
P120~121
原爆放射能医学研究所の鎌田七男教授は「イペ里㏍戸による染色体異常の発症割合は、広島の爆心地から1.1キロで被爆した人に相当する」と語る。イペリットは原爆による放射沿道用、染色体毒なのである。
鎌田教授の指摘する染色体異常とは、そこに含まれる遺伝子の損傷を意味する。遺伝子と言っても、被爆者、被毒者とも「二世への有意な遺伝的影響はいまのところみられない」とし、現段階では遺伝の心配はない、というのが現在の定説である。むしろ、注目されてる問題は、遺伝子損傷と発がんの因果関係で、最近の遺伝子研究の進展から、その因果関係は「ほぼ100%に近い」ところまで解明が進んできてる。
……略……
一度損傷した染色体は二度ともとにもどらない。注(転座・欠失などの変異をさすと思われます)
被爆者、被読者が共通して苦しむ後遺症が明らかになってる。後遺症の点から言えば、原爆もイペリットもともにきわめて毒性の強い発がん兵器であることが広島の地で実証されることになる。
(広島県女子ではなく男子ではないかと思いますが、そのママにしました)
高い発症率だと素人が見てもわかります。
それで、この毒ガス工場ではたびらびガス漏れなども起こりましたので、被毒者のかたが後遺症で苦しんでおり、以下のように健康管理手帳の申請を受け付けています。
毒ガス健康管理手帳
原爆の被爆者認定も同じです。
毒ガス工場での証拠書類がない場合は、「忠海製造所又は忠海分廠の従業員(工員等),動員学徒,女子挺身隊員,勤労奉仕隊員,引率教員,戦後処理従事者等として従事した二人以上の方(3親等以内の親族を除く。)の証明が必要とされます。
考えてみてください。
広島県が戦後、どんな状態になってしまったか。誰もが家を失って、元の場所にもどってこれたかどうかもわからない。
当時は電話すらない。
さがしあてられたとしても、工場で働いていた人たちが、商人になってくれるかどうかすらわからない。
原爆の認定も初期はこの二名の証人をみつけるのが大変だったと。
原爆投下当時、やけどで人相が変わってたり、みなが家族を探して右往左往してた。
亡くなってしまった人も多い。
そういう無理難題をどうして条件に出してくるのか?
まるで、被災したことが悪いことなのか?と感じてしまうほど残酷なシステムです。
そして、イペリットという毒ガスがどんだけ、ひどいのか…。
これがまた、調べていくうちに、都築正男氏が、昭和17年に詳しく講演していた資料がみつかりました。