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1.262025
被ばくの症状 4 ヒロシマナガサキと共通することがあるのか?
日本で事故が起こって、当団体のブログにもたくさんの体調異変の書き込みがありました。
関東のほうで、お話をお聞きするだけなら…という場をもうけたことがあります。しかし申し込みで電話がパンクしそう。
チェルノブイリの子をみてくださっていた医師のかた一人では到底足りない。
そのとき、はじめて、ヒロシマの原爆で自らも被ばくされた肥田舜太郎先生にお願いしてみたら?ということで、意を決して90歳にもなろうかという方に電話したら、2つ返事で会場にいらしてくださることになりました。
お迎えにあがり、道中、「チェルノブイリの子どもたちは、あちこち調子が悪いけれど、血液検査すると特別、異常がない」というと、肥田先生は、「ああ、原爆ブラブラ病と同じだね」とおっしゃり、ぎょっとしました。(2011年のことです)
え?ヒロシマと共通することがあるの?
実は、私たちは、チェルノブイリの子どもたちの保養にあたり、ほうぼうから、「白血病でもない子たちを招待する保養なんてヤメロ」と批判されており、科学アカデミーのE教授のところへ質問に行ったのです。(1994年)
そのとき、「ヒロシマナガサキの研究者たちは、チェルノブイリでどんな病気が増えたか聞いてばかりで、治療法とかなんにも教えようとしない」とすこぶる機嫌が悪いところにでくわしてしまったのです。
ヒロシマナガサキ…といえば…白血病とガンというふうに、思い込んでいましたし、なぜ、教えないんだろう?ととても不思議に思いました。
(旧ソ連でも、それらの治療法はあるはずですから)
「ブラックジャック やり残しの家」手塚治虫
自分が子どもの頃の少年少女漫画では、だいたい、主人公が白血病になって亡くなってしまうというものが多かったように思います。
1973年ごろですね。(原爆投下から28年前後ですね)
しかし、チェルノブイリで起こっていたことは、あちこちが痛い、胸が痛いとか、いろんな臓器が不調になってる…そんな感じでした。
突然死や子どもたちの小児甲状腺がんや先天性異常の話も、聞いてるだけで、どうしていいかわからないほど、怖い。
そんな中で、子どもたちの保養を続けることで元気になったよ、など、しだいにベラルーシからのお礼の言葉も届き始めます。
1992年から、毎日が、バザーや募金での資金集めに追われて気が付いたら、2011年を迎えたわけです。
私たちは、ただ、3度3度子どもたちに、汚染のない食品、汚染のない大地、汚染のない空気や水を1か月プレゼントしたい、それだけでした。
肥田先生から、言われて、そこであらためて、ヒロシマナガサキでのガンや白血病以外の症状について目を向けることになったのです。
表26 各種の後障害性訴え 症状など(小沼十寸穂1967による)
一部分、引用させていただきますね。
「心身のくるしみ
…
ことに放射能症は軽重の別はあれ、貧血、生殖機能の障害、感染抵抗の減弱などを長くあとにのこし、また熱傷、外傷の後遺症も長く負傷者を苦しめた。
そればかりではなく、被爆のショックは急性の身体障害とあいまって、さまざまな心身症状、不定愁訴、秒核を被爆した人々に与え続け、数年、人によっては10年以上も被爆者を襲ったのである。……(略)……たとえば、消化器については、常習下痢、常習便秘、常習腹痛、胃腸障害、血液循環については手足の冷え、ほてり、チアノーゼ…」
ここに書いてあることは、チェルノブイリの人たちが言ってたこと、子どもたち(もちろん大人でも)が、いくつもの症状を抱え持つことに似ていないか?
全身のあちこちがとにかく、調子が悪い。
痛み止めを飲んでも、決して痛みが出なくなることはない。また飲まねばならない。その副作用でまた辛くなる。
この後遺症が原爆投下から20年たってまとめられたものですが、チェルノブイリの人たちは事故後からそのような症状が出ていたわけです。
その「治し方」をヒロシマナガサキの研究者たちは、チェルノブイリの人たちに教えてあげなかった…、教えられなかった…のか。
治す方法が…ない。
私の子どもがアレルギーのときに、医師が言った言葉。「神経質なんだよ」という考え方が日本の医学なのか。
しかし、この状態は、健康ではない、だから、子どもたちはダメもとで保養に…という方向に舵をきったのだと思います。
なぜでしょう?
チェルブイリとヒロシマナガサキの被ばくの型は違うといいながら、どうして同じような症状が出てるんでしょう?
私がよく似てるなと思ったのは、ヒロシマナガサキで、自分は原爆を受けておらず、家族を探し回った人が、家に帰って、そのあと、突然死してしまう話がとても多い。
これらの人々の人数が、ヒロシマナガサキのデータとして正確には加えられていないのです。
突然死はチェルノブイリでもとてもよく聞きました。
バス停でバスを待ってる間に、牛の乳を搾ってるあいだに…。
子どもにも起こっていたと。
昔の資料を眺めていて思い出しました。
チェルノブイリの子どもで保養中に歯が痛くなった子がいて、歯医者さんにつれていこうとしたら、歯を抜いたら血が止まらなかったから困る…と歯科医さんがいやがっておられました。
一応、まだ、白血病ではないです。貧血気味だけど。
そんなこともまた、30年前の日本の医師たちは、心配していました。
私たちは、子どもたちのお母さんの思いを伝えることで、周囲の理解を得て、募金を集めたりしていました。
だいたい、「チェルノブイリの救援ボラ…」と言いかけたら、逃げますね。及び腰になって企業などは、もう近寄らない。(笑)
だって、どんだけ長い期間、募金が必要か…考えちゃいますよね。
子どもたちの親がかわいそう、子どもがかわいそうという人たちによって支えられてきた活動です。
その話の中で、どんな病気がこのぐらい、症状がこのぐらい、という数字のグラフを出すことは、控えてきました。
なぜか?
それは、数字をみたとたん、ある程度の方向性が見えたら、わかったような気になってしまって、そこで完結してしまう。
数字だけでものを考えてほしくない。
ヒロシマナガサキの数字を追っていくとつじつまの合わないことばかり。
ヒロシマの症状の数字を見て、その人のくるしみを理解することは難しいと思います。
子どもたちの自覚症状の数字からも何もわからないと思います。
ベラルーシの親にきいたら、腎臓のトラブルを持ってる子たちはもっとたくさんいました。
たった一人の子であっても
放射能の中にいて、放射能を食べて、吸って、飲んで
身体中がイタイと言うのなら、それは救わなければいけないこと。
社会がそういう環境を子どもに与えてるのですから。
決して、無視してはいけない、一人のくるしみ。
一人を救えない科学など、何の意味があるんだろう?
(ちなみに、原爆災害…というタイトルは、苦肉の策なんでしょうか?日本は核攻撃を受けたんですけれど。)