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被団協ノーベル平和賞受賞 おめでとうございます!肥田先生のお話 

被団協さんがノーベル平和賞受賞!ときいたとき、まだに青天の霹靂!という感じで驚いた方も多いと思います。
会を代表されて記者会見されていたかたもほっぺたをひっぱって、首をひねっていましたね。
核の被害はいまだ、認められないために裁判をされてるかたがたもいらっしゃいますので、この受賞の意義はとても大きいかと思います。

2013年の5月に、被団協で相談業務理事長を31年も続けておられた肥田舜太郎先生のお話の一コマの映像がありました。
開放的な空間でのお話なので、ほかの団体の会話も入っていて聞きにくいのですが字幕をつけました。
2分ほどの映像です。約10年後の現在をまるで見通してるかのようで驚かされました。
このとき、先生は96歳。
時代に遅れるどころか、10年先を見通されていましたね。

ノーベル平和賞おめでどう!肥田舜太郎日本の核と憲法について語る2013

被爆の苦しみ…というのは、個人に現れるとき、さまざまな様相を呈する…ということさえ、時間の経過でわかってきたことだと思います。
原爆投下されて30年以上経過して、「被爆の実相」と言う言葉が使われていることでもよくわかると思います。
最初は、ひどいやけどで生皮をむかれた状態でさまよい歩く人々の姿にあっとうされて、なくなりました。
それで終わりかと思えば、まだまだ、異変が起こり続ける途中だった。

憲法を変えて核武装をするのではないかと心配されています。

以下は群馬県の被爆者手帳を取得された方の病状などの内訳です。1977年の健康調査。
一般の人のいだく被ばくのイメージは、ガンや白血病という病名が多いかと思いますが、それだけでなく、さまざまな臓器の病気も発症してるのです。

同じ病状であっても、裁判であなたは認める、あなたは認めない…という差別的な判決が続いています。
ほんのわずかな被爆時にいた場所によって、あなたは被ばくじゃないノダ…といえる科学があるのか、原爆投下時に、放射能値を測定していたわけでもないのに。
まして、国は、戦争を起こして、このような事態に国民をつれこんでしまった加害者の一部をなしているわけですので、手厚い保護をしてあげてほしいと思います。
そうでなければあまりにかわいそうです。

しかし、どうしてそのようなことが起こるのでしょうか?
肥田舜太郎先生の公演の中から一部分引用させていただきますね。
(2011.6.2 医療相談会の会場で)
「原爆が落ちた直後から日本はアメリカ軍の占領された。
アメリカに占領されるということは、イラクのように
アメリカの占領軍のすべての命令が優先される。
そういう状態が7年続いた。
一番最初にやったのは、日本の軍隊を解散させた。
もう一つやったことは、ヒロシマ・ナガサキの原爆で命を落とした人は気の毒だが、
原爆の被害をうけた国民の、自分が受けた被害そういうものを含めて全部アメリカ軍の機密である。
あの爆弾があたって、どこが悪くなったとか、原爆に関係したものはいっさい話しても記録しても、写真や絵を残してはいけない。
それに違反したものは厳罰にしょすと、命令をマッカーサー将軍が厚木の飛行場に降りた時にその場で宣言した。
ですから、原爆を落とされた1ヶ月後ぐらい、広島の被ばく者は生き死の最中。大変な苦しみの、日本の中でなんの秩序もない。
日本の国の中にはもう秩序もない。広島は学校も病院も、お寺も薬も何もない。
マッカサーはそういう放送をした。肉親がわからない人子ども、じいさんもおばあさんも、頼る人がいない。家族生き別れ被ばく者、飢え死に。
そういう地獄の中で、原爆落とした人間が、苦しんでいる人たちに広島で被害にあったいっちゃいけない、という非人道的なことをアメリカは7年間続けた。
だから、広島と長崎の被ばく者はみじめな状態で診察をうけた。
大変な苦しみを受けていた。私は生き残って大変な苦しみの中で生きてきました。
占領された中でしょうがいないと仮に思ったとしても、
私がまだ怒ってこんな活動を続けている原因は、放射線を仕込んだ爆弾、放射線が出て熱とか力で家が壊れる、怪我、やけど、をする。
出た放射線で人間の身体に影響が出て、人類が経験したことのない新しい病気がどんどん起こった。
治療方法がない、未だに放射線の影響は診断もつかない。…」

つまり、さまざまな異変が現在進行形で起こり、それを被ばくされたみなさんから聞き取りして、「被ばくの実相」をとらえる作業をしなければいけなかったのです。
血液検査でも、悪いところが出てこない。
ただ、身体がだるいだるいと思ってるうちに、あちらがおかしい、こちらがおかしいとなってくる。
同窓会で集まってみれば、あれ?こんなに若いのに、友達がガンで死んじゃってる、ということに気づき始めるわけです。
このNGOの調査をしていた時期は、まさにもう、原爆の被害が終わったのではないか…と思われる30年が経過してからですから、異変はまだまだ途中。
(なぜ?統計をとってるのではないか?と言いますが、結局は治療しないで検査だけしてた機関ABCCなどがあり、その機関の持ってるデータは現場の医師たちに、治療のために還元されることはなかったのです)

第三次世界大戦がはじまりそうな前夜です。核を使用するのではないか?という声もあちらこちらから聞くこともあります。
しかし、戦いがエスカレートすれば、使ってしまうなんて偶発的に起こりそう。
こんな何十年も、苦しみが続く核兵器を廃絶しましょう!という活動が、ノーベル平和賞受賞して本当に良かった。

そうして、この被ばくの苦しみを伝え続けてくださったみなさまに、あらためて感謝申し上げます。

原発事故が起こって、私たちの団体が受け入れていたチェルノブイリの子どもたちの体調についてのお話も、エビデンスを出せ…という方もいらっしゃいました。
しかし、エビデンスが世の中に出回ってるような甘い世界ではないということをご理解いただきたい。

だからこそ、放射性物質を掘り返してはいけないのだと思います。

(かけはしの医療相談会の内容も比較医学研究所に分析をお願いしていますが、もう少し時間がかかりそうです。)

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